孤独について-生きるのが困難な人々へ-
標記の図書は文藝春秋刊の新書で著者は中島義道という哲学者である。共感すること大であった。断っておくが、現状、僕自身は生きることを困難であるとは少しも思っていないので誤解のないように附記しておく。
僕自身の感慨を辿れば、生きていくという現象は日常的な煩瑣の連続である点が難儀なのであってそれを措くと人生など存外にも楽しいものである。様々の人生上の躓きを超克し独自の価値体系を確立してしまうと実存的に介入する他者の意見・意向や動向などまったく度外視と化す。基準規範は絶えず自分の裡に在る。他者としての闖入者の尺度に惑溺するから諸事百般に困惑するのだ。釈迦も叙述しているように天上天下唯我独尊の裡に自己は存在すると信じて疑わないだけの自己確立を為すべきだと如実にその思弁の実践を本旨としている。そのために金で片がつく問題はお金で転んでもらい、大切に無関係な論議にはイエスマンに徹しきっているのだ。
さて、この本では上記のようなことはどこにも書いていないので現在進行形で苦悩する人に対しての慰撫にはならない。他者、読者、著者自身さえも冷厳と突き放している点において、冷淡であり、やさしさとか甘え、慰めを恃んで頁を開いたら忽ち絶望の奈落へと真っ逆さまに墜ちてゆく。一歩間違えば退廃、穎退に堕する可能性も胚胎しているがその点を了解していれば本書は心地よいばかりかその冷徹さにおいて胸がすく想いがするのである。
死を前提とする限り諸般のフェノメノンが無意味であると説いたのがこの本の本当なのである。なおかつ、その言説は正鵠を射ているので本当という尺度においてなおさらにも本当なのである。絶対とは死のことなのでありその当事者は自分であることはシンプルなプリンシプルである。そうした単純なことを再確認させてくれる図書であり心に残る大切な一冊となった。嫌味ではなく佳書であった。ただし、僕にとっては・・・と附言しておく。世故の常識に律動する人には不向きの本である。
また、著者は東大を卒業して以降、大学教員の職に就くまでの苦難に満ちた歴程も能く綴られており冷徹なまでの孤独論と相俟ってそこから紡ぎ出される物語にはスパイラルな構造の滲みがみてとれる。教員としての初任先は帝京平成大学。が、そこで収まる狭量ではなく本書初版の時点での肩書は電通大教授となっている。著者が何処の大学教授であろうと僕の人生には何等の意味も持たないのだが著書には大きく心を動かされた。


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