淀川長治さんのご慧眼
死は人間卒業です
自殺は人間廃業です
☆ そのとおりだと思います。
【新谷尚紀著 青春出版社刊】による本である。青春出版社と言えば「試験に出る英単語(シケ単)とか(デル単)」で大変お世話になった。それにしても「赤尾の豆単」なんて今の受験生は使っているのかしら。
不思議な構成を為している本である。小学生でも読めるようなサラリ~サラリ~とした一節を綴り乍らも民俗学の理念のような話になると滔々と専門書並に深い考察を為されている。この人は単なる好事家ではなく民俗学の基本ができていると思ったら国立民俗博物館の教授の任に在ったことを知り得心した。
青春出版社の新書など安逸なものだと考え書店の書架を素通りしてきた。なかなかの佳書を出版しているようなので、今後、注目してゆきたく思うのである。
本好きにとってブックオフを利用しないという手はない。なにしろ相手は本の価値を見ず外見の美麗の有無を商品価値の一義と考えているのだから佳書が格安で入手できることが稀にある。それにしても驚いた事例に遭遇したので紹介しておく。
【日本史探訪 角川書店刊】という本がある。全14巻からなる全集で他に二冊の別刊が附属する。第一巻の初版が昭和46年11月で定価が1,500円と当時の貨幣価値を考えると高価な本であったに違いなく、また、日本の出版史上に確実に足跡を残した書籍ともいえる。
それもそのはず。執筆陣を見て仰天した。海音寺潮五郎・司馬遼太郎・松本清張・奈良本達也・唐木順三・江藤 淳・大佛次郎・堀田善衛・山本健吉・山岡荘八・大岡昇平などなど綺羅のような一流が健筆をふるっているのである。で、一巻の価格が105円。躊躇なく購入したが、なんだかとても複雑な想いが残った。
井上ひさしさん、肺がん公表
12月16日3時15分配信 読売新聞
劇作家の井上ひさしさん(75)が肺がんで闘病中であることが15日、分かった。同日、都内で行われた日本芸術院新会員の辞令伝達式に代理出席した家族が明らかにした。
井上さんは10月末に肺がんが判明。11月上旬から抗がん剤治療を受けている。経過は良好で、治療が終了する来春には、新作戯曲の執筆を開始するという。
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特に農業に対する発信は極めて重いものがある。
それをパッシブに表現すると「聴く養老孟司」と「読む養老孟司」ということになる。養老の本は読んでいて気持ちがよいほどにストンと胸に落ちるのは当たり前のことを当たり前に叙述しているからである。
一方、養老の話(語り)は一向に理解ができない。その思考はおそらく一つの思想であると思えるのだが、声によって表層される内容と文字によって具象される内容に差異はないにもかかわらず音声として表層化されると途端に理解不能となる。
おそらく僕には聴く習慣が形成されてないのだ。聴いて理解するという部分での脳野が弱いのである。また、聴いていても意識が別の方向に一瞬飛んでいる。そのため、落語をCDにおいて聴いている時も一回聴いただけでは理解ができない。二度聴いて、なるほど、と理解できる。聴く力をもう少し涵養しなくてはならないと感じることもある。
人はおそらく読む力よりも聴く力のほうが一般的に弱いのではないかと想いつつも特段、僕の聴く力は弱い。換言すれば、聴くことに関しての集中力がない。多分、発せられる言葉には興味がない所以なのかもしれない。
極論すると、「あの人、なにか一所懸命にペラペラと喋って自己主張しているんだな」という形式を観察をしている自分に気づくことがある。それにしても喋りというのは、つくづくと迷惑を伴う自己主張だなと思う。喋ることは、発語された時点で直ちに音声化されるために雑音になることもある。他方、読むという行為は朗読を別にして音声を伴わない点で非干渉的である。
以下余談。北杜夫がなだいなだを指して曰く。「なだいなだは医学生の頃、講義を聴いているだけで理解し憶えてしまうので試験勉強というのをしたことがない」と。高度に論理的な話を聴いて理解できる人は賢い人である。僕などは、読んで、まとめて、書いて、朗読し、書いて書いて書いて殴り書きに書いて手に覚えさせないと到底試験には及第しなかった。
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