「ケンブリッジの哲学する猫」という本を読んだことを想い出した
北京大学の「聴講猫」が人気―教室に通い続けて5年間
10月6日11時46分配信 サーチナ
中国の「猫ファン」の話題になっているのが、北京大学の「聴講猫」だ。学内に住み着き、講義に出席するのが日課という。中国ではさまざまなブログが、「聴講猫」の話題を取り上げた。北京晩報が5日付で伝えた。(後略)
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猫はいつだって哲学的だ。しかし、その実なにも考えていないことのほうが多い。フクロウも同様である。![]()
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北京大学の「聴講猫」が人気―教室に通い続けて5年間
10月6日11時46分配信 サーチナ
中国の「猫ファン」の話題になっているのが、北京大学の「聴講猫」だ。学内に住み着き、講義に出席するのが日課という。中国ではさまざまなブログが、「聴講猫」の話題を取り上げた。北京晩報が5日付で伝えた。(後略)
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猫はいつだって哲学的だ。しかし、その実なにも考えていないことのほうが多い。フクロウも同様である。![]()
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獣医師の世界ではそれぞれの分野で職域を形成している。そんななか、昨年度仕えていた上司が自身所属する職能集団において全国の会長職に就任した。これはなんとも嬉しい話であり目出度さの極みなのである。
壇上から日本中の会員を見おろす視線は、威厳のなかにも職を一つにし労苦する者への慈愛が感じられた。こういう人と一緒に仕事ができたことを誇りとしたい。また、この人の名称の入った感謝状を戴けるという僥倖と栄に浴することができたのでその書面は高く自室に掲げてある。氏。自ずから品格のふうが在り。
手塚治虫がどのような獣医師観を持っていようと僕には関係ないので右に示した記事を書く意味は何もないのであるが書いてしまったのでアップすることとした。手塚を本気で詰責しようなどとは思っていない旨を冒頭に識す。要するに冗談の範囲として収納される些末な記事として綴る。問責するとしたらこういうふうな切っ先になるのかなという程度の思考的想定である。以下・・・。
手塚は獣医学が展開している広汎性を知らず獣医師をみる姿勢は傲慢で偏頗である。獣医学はなにもひとつ小動物臨床だけで成立しているものではないと知れ。獣医学は集学的な知とスキルに依って独自で専権的な職域をカバーしておりそれは地球環境の問題を視野に捉えた複合の学として確乎たる位相を獲得している実績がある。
臨床医学と対比する時、臨床獣医学は如何にも見劣りがするかも知れない。が、以前にも書いたが獣医学と医学はまったき異なる事象での体験なのである。殊、小動物臨床の分野に特化して医学と獣医学を比較する合目的必要性がまったく見当たらないのだ。
寧ろ、医学と獣医学は相互の立場を尊重し人畜共通感染症の撲滅を目的として公衆衛生学的立場から緊密に連携してゆくほうがポジティブである。また、学問は対象や体系の比較においてその一方的優位性を論じる態度は非生産的であり、なおかつ、すべての学問は人に寄与するものであることを知れ。
偏差値とか社会的地位という文脈から、手塚が獣医学や獣医師を捉えるならば、それはそれでよいのだ。そうした観点から俯瞰すれば医学部のほうが余程に上等で偉いのだ。医学部を頂点として、殊、生命科学の分野はビラミッド構造のヒエラルキーを構築しているのは事実であるがその構造的認識そのものが差別的であることを知れ。医師の対立命題にもなりえない獣医師や犬猫病院を笑い物として対置することの恥を知れ。
ブラックジャックは日本医師会や医学界に背を向け既存の権威や差別を否定し排除しているところにその要諦があるはずだったのではないか。手塚治虫が自身の医師免許を大上段から獣医師に振りかざす行為は手塚らしくもないのだ。
赤塚を始めとするギャグマンガ家や落語家が医師と獣医師を比較において笑いを取るのことはその作品的特目から一定の合目性がある。しかし、殊、手塚は漫画家である前に医師であることを銘記しておく必要があった点において誤謬を犯している。という事実を踏まえながらも手塚作品に魅了されている己に自己撞着はない。それは、依然、漫画家手塚治虫は僕にたくさんのただしい心の在りようを教えてくれている所以に依る。
最近の酪農学園卒業生をみると、この学校は、よき人材、よき獣医師を輩出しているとつくづく思う。北大の恵迪寮ではないが、その人材諸氏を具に話を聴くと、皆、寮の出身者であることに気づいた。
寮は校風を承継し学校の魂を体現しているものであるから、学嗣が正しく先輩から後輩へと継承が為されているのであろう。特に、学問的な奇想さとか派手さは無いが現場での獣医事を誠実に履行し、よく立ち働く。
その附属高校の、とわの森三愛高校が獣医進学コースを設けたと獣医師会雑誌で紹介されていた。どうしても獣医師になりたい人にはオススメの学校なのかもしれない。
いつでも、どこでも、そうなのだが、こちらが気づいていない状態であっても、猫のほうからニャ~ンとないて僕に挨拶をしてくる。それは一つの不思議である。果たして、僕は猫に好かれる体質のようなものを持っているのだろうかという謎は深まるのだ。
○ やけに品の良い運転士だったので前職を問うたところ柔道整復師(接骨院の先生)であった。接骨院を取り巻く状況も厳しいようだ。骨接ぎの先生を別にしても昨今の自営業は厳しい状況にあることが惻々と伝わってくる。とまれ、僕も疲労困憊の極を回避するために週に二回はタクシーを利用して帰宅することを習慣としている。疲れた状態では良い仕事など望むべくもないからだ。
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