金子みすゞとクリスマス
朝焼小焼だ大漁だ
大羽鰯の大漁だ
浜は祭りのようだけど
海のなかでは
何万の
鰯のとむらいするだろう(金子みすゞ 大漁)
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クリスマスという行事は鶏にとって受難であることだな。
鶏の弔いは誰が執行するんだろう。
食用に饗される動物の命の意義を充分に考えもせず僕は
鶏肉も喰らう。
動物における労働の提供が、そのまま命の提供であるとしたら
それはそれで重い現実が在る。
朝焼小焼だ大漁だ
大羽鰯の大漁だ
浜は祭りのようだけど
海のなかでは
何万の
鰯のとむらいするだろう(金子みすゞ 大漁)
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クリスマスという行事は鶏にとって受難であることだな。
鶏の弔いは誰が執行するんだろう。
食用に饗される動物の命の意義を充分に考えもせず僕は
鶏肉も喰らう。
動物における労働の提供が、そのまま命の提供であるとしたら
それはそれで重い現実が在る。
○ 大好物であるという人はあまりいないのではないか。或いは、食品の用途としてもその範囲は海苔巻きや昆布巻きなどに供用されるに留まり使途は限定的でオカズとしても主坐を占めることが出来ないことを以て干瓢の悲劇がある。
しかし、また、食べ物として確固る地位を築いている点には自ずから威厳がなくも無い。現業職における叩き上げのふうも在り・・・。
【江戸っ子はなぜ蕎麦なのか? 岩崎信也著 光文社新書】を読んだ。新書にしては大部の容偉を張る一冊である。ソバに関する話はおもしろい。いや、実におもしろいのだ。なになに佳書であった。
ソバは好事家同士でその華を咲かせ蘊蓄を傾けあうもの。ソバに興味のない者にソバの蘊蓄を傾けるのは「粋」から一転して「野暮」になるのが蕎麦。ソバ談義をする場合はそのへんの注意が必要なのだなと知る。繰り返す。佳書である。
そろそろ、食は淡にあるものと覚えて知ることとした。だいいち、体が可哀相だ。暴飲暴食をし続けるなんて。体だって、そりゃ、臍を曲げて病を託つたくなるのも道理。それを生活習慣病と呼称するのは正しく在るのだ。或いは、病とは体躯の駆け込み寺的な生命維持の避難場所として在るのかも知れない。
毎日ソバを食べている。僕の健康法といえば唯一ソバを毎日食べ続けることである。それは措くとしても、そば屋で酒をのむというのも粋である。おそらく、寿司屋で刺身を食いながら酒をのむことよりよほど粋であると観じた。
補遺・・・
ここでいう「ソ連」とは、ソバ好き「連」のこと指す。また、「連」とは江戸期における市民サークルのようなもののことである。
杉浦らがこの本を上梓するにあたって杉浦みずから綴った冒頭の言葉が洒落ているので転載しておく。
「この本はグルメ本ではありません。おとなの憩いを提案する本です。そば好きのちょいと生意気な子供は、いますぐ、この本を閉じなさい。十年はやい世界ってもんがあるのですよ。
腹ぺこの青春諸君も、もう、この先を読まなくてもよいです。諸君の胃袋を満足させる食べ物は、ほかにゴマンとあるはずです。
デートや接待に、使える蘊蓄はないかと、データ収集のつもりの上昇志向のあなた。この本は期待に添えません。さようなら」と。
○ どんな時に、ヒトはカニを購入してカニを食べるのか。日常に於いて、カニを食う状況というのは想定し難いのだ。カニを食うというのは一つの快楽として位置づけられるべき性質の行為なのであろうか。
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