アニメ・コミック

2009年11月 9日 (月)

妖怪を能くする水木しげるさんがその精神的基盤を真摯に吐露した書籍

 僕は妖怪に興味がある。妖怪に係わる学問的定義づけを柳田国男が為しているほど妖怪と民俗学は不即不離の関係にある。東洋大学を創設した井上円了はもちろんのこと、小松和彦を経て妖怪の学問化は一応の体裁が整った感がある。学問的方法論の妥当性は別としても妖怪を広く国民に膾炙した水木の功績は大きい。

 【妖怪天国 水木しげる著 筑摩書房】を読んだ。水木の妖怪に対する篤い想いや妖怪へと逢着した経緯は従前から水木が述べているのだが、その精神史が綴れた本は比較的少ないように感じていた。左のような状況から水木が自己を洞察した一冊として極めて心強い一冊である。

 また、水木は学問的考察にたえうるだけの多岐多岐なる幅員を確保しているため、その精神史をみてゆくことに対して興奮さえおぼえる。大学院博士課程レベルで考究されても不思議ではない価値の高いマテリアルである。

 NHKの朝の連ドラでは、「ゲゲゲの女房」を放映予定としているとか。同名の書籍は装幀が特段に優れて美しい仕上がりをみせている。

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2009年10月24日 (土)

38歳になったこまわり君は輝いていた

  【中春 こまわり君 がきデカ復活 山上たつひこ著 小学館】を読んだ。彼の成長ぶりには瞠目に値するものがあった。社会人としてのキャリアを確実に積み上げて、妻子を抱えて奮闘している姿にはサラリーマンとして共感すら覚えた。また、一人静かに小料理屋で酒を嗜む姿に対し組織人としての孤独に想いを馳せつつも粋をも感じさせた。僕には、行きつけの小料理屋などないのだ。

 思えば、まったく同情の余地がないほどに低劣な悪ふざけの限りを尽くしたこまわり君が、或る時に種田山頭火ばりの出家を為した。ここが、こまわり君のターニングポイントだったのだ。以後、なにかを悟ったに違いないのだ。こまわりくん。その変節ともいえる甦生に僕は感動さえおぼえた。こまわりくんは僕をあっさりと抜き去っていったのである。48歳になったこまわりくんの姿にも注目したいものである。

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2009年10月21日 (水)

故杉浦日向子さんの本質

 多芸・多才・多能であったが、その本質は詩人であるとみた。作品を読んでいると、文脈から、そのポエジーが悲しいほどにビンビンと響いてくるのである。

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2009年10月16日 (金)

星 新一の作品を愛好していた

  【あのころの未来 星 新一の預言 最相葉月著 新潮文庫】を読んだ。星がショーショートと分野を開拓しその作品に込められた寓意について最相が一つ一つ検証していったのがこの本である。

 嘗ては、僕も星新一の大ファンであった。あの頃は、時代そのものが星 新一を要請していたように感じる。ゆえに一大ブームを形成した。時代の要請が無い限り如何なるムーブメントも発生のしようがないのである。現況、最相が、改めて、星に焦点を当てた意義は極めて大きい。その作業は紛うことなく現代を捉えそれを検証する作業である。

 昔のSFドラマなどを観ていると、現在は現在であるという規枠が存在するため、想定する未来像、即ち、ソフト面では奇抜であるものの、現実に用いられている機器やパーツ、即ち、ハード部分では大いに笑える。宇宙戦闘機のようなマシンに真空管が使われていたりする。そのくせ太陽にゆくまで3日くらいとか。

 21世紀と言えば、がんは征圧されると言われていた。が依然として制圧されていない。確かに薄型テレビは登場した。コンピュータの普及は預言されていてもウインドーズのようなOSの存在を預言した者は極めて少ないようにも思えるのだ。今、現在のような執務の形を誰もが預言しえなかったように思う。かんずるに、ノートパソコンに向かって一人一人が仕事している姿は奇妙である。キーボードを叩くという作業は古来から延々と続いた労働の様態から著しく乖離した形式としてして映る

 個人的な「あの頃の未来」と言えば、徹頭徹尾、僕は、特急列車の運転士になることを夢みていた。頻繁に上野駅の低いホームにつめかけては、絶対に、運転士になるのだと誓いを新たにしていたものである。切ないほどに、特急の運転士になりたいと嘆息したものである。そんなことを感じつつも、改めて星のショートショートを読んでみたいというな郷愁の念ともいうべき思慕をおぼえたのだ。

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2009年10月13日 (火)

楳図かずお怪奇幻想館の妙味

 ○ 楳図かずおの漫画がおもしろい。幼少期には怪談だの怪奇話を聴くと怖くて怖くてトイレに行くのも躊躇されたが、今、楳図のそれを読むと滑稽であると同時に、恐怖とは単に描出された絵やストーリーに在るのではなく、存在の在が心にあることが感得でき、それは、ただしく心理学の問題として処理される。

滑稽であるがゆえに僕は、今後、楳図の作品を愛好して行きたいと思っている。楳図もそうなのでるが、この世代の漫画家が描く画の質感がどこか懐かしいのだ。なお、以前に記事として掲げたとおり手塚漫画も着々と読み進めている。

 楳図作品の場合、角田じろうの「恐怖新聞」などと異なり、悪霊を前面に押し出していない点で、いわゆる、しんどさから解放される。角田のように霊界というなものに耽溺してしまうと氏自らが発する鬼気迫る「態(てい)」のようなものに眩暈され、それは病的のふうにも感じられるのだ。

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2009年9月10日 (木)

ということから天才バカボンのパパの年齢は

 現在、75歳であると推定された。

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2009年7月 8日 (水)

宇宙戦艦ヤマトにサザエさん一家が乗艦した状況を想定する

 ○ くだらない喩えだが発想の跳躍とはそいうことを考えてみることなのだ。別次元と別次元の衝突にこそ思想において跳躍の発生が起きるのである。如何なる状況であれ僕は窮理でありたいのだ。

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2009年7月 1日 (水)

手塚治虫の文脈

 手塚は、未来のメッセージというステレオタイプとして綴られる傾向が多い。その未来は現実に実現するのか。手塚が想像していた未来とは何か。その周縁事情がわからず、100年先においても、おそらく、未来へのメッセージと文脈で手塚は捉えられるに違いない。

 鉄腕アトムのようなロボットの完成をもって手塚が夢想した未来であると断定するのは余りに浅薄である。そのため、今、手塚治虫全集全400巻を読もうと計画しているのだ。未だ絶版になっていないというのが幸いである。

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2009年6月22日 (月)

神様とやら あなたは残酷だぞ

  手塚治虫という漫画家は、神についてそう言わしめた。何故、神は残酷な存在なのかを漫画的立場からは深く掘削せず、考究する立場としての文学で遠藤周作は、「沈黙」という作品をつうじて一つの解答の形式を示してみせた。ことほど左様に文学には思惟こそが構成動因の一つとして考察しなくてはならない場合もある。

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2009年6月14日 (日)

手塚治虫展 -未来へのメッセージ- を鑑賞してきた

 東京江戸博物館が開催されている標記の企画展を観覧してきた。僕は「鉄腕アトム」の時代の申し子という世代ではない。寧ろ、幼児期の記憶としては「リボンの騎士」のほうが釈然としておりアトムのことはほとんど知らないのだ。

 長ずるに及んで、「ブラックジャック」に魅了された。また、「火の鳥」の気宇壮大なテーマには文学をも凌駕する可能性が漫画にあることを感じた。加えて、「人間昆虫記」や、「ユテラテの樹」、「きりひと賛歌」、「アポロンの歌」などの子供向け作品以外の漫画にも惹かれた。また、「アドルフに告ぐ」以降の作品群こそが手塚作品の要諦を為していると思えるのだ。なお、手塚氏に就いてはデパートの企画展で氏が執筆している様子を、高校時代に一度だけ見たことがある。熱烈な手塚フリークだった頃である。

 殊に、ブラックジャックは何度も読み返した。この作品から発せられる名言は多い。「人が人の命を左右できるとおもっているのかね」・「医者ってなんだ」・「神さまとやら、あなたは残酷だぞ」など・・・。

 唐突乍ら、手塚治虫と北杜夫の両名。この二人は就いてはどうしても比較してみたくなる。両者は世代的にも近いうえに昆虫にも造詣が深いのであるが、それよりも、寧ろ、大阪大(専門部)や東北大学医学部を、それぞれに卒業した後、医学博士を称号とし乍ら医師という共通の経歴を持ち、表現を手懸かりとし乍らも進むべき方向が漫画、或いは、文学へと逸れていったことはまことに興味深い。この二人を並べてみた時、漫画と文学の差異について考えさせられもする。

 確かに、漫画には表現における成熟点に限界があり、或る位相を超越することが困難なのである。而して、文学は成熟における到達点が漫画とは別の形で設定されているが、それを以て、どちらが高尚であるとは断定し難い。しかし乍ら、刮目すべきは、漫画に詩学を導入した、つげ義春、または、つげ義男の存在がある。その路線を承継している漫画家、または、漫画の文学化を為した漫画家に就いて僕は無知故に知らないのである。多分、つげが、文学という軸についての漫画からの漸近線を画いてみせたに留まるのでないか。

 また、表現者として宮崎 駿も歴として存在しているが、氏はアニメというカテに括られる。宮崎は手塚に関して必ずしも肯定的でなく辛辣で慇懃無礼な態度を堅持しているが、その辛辣さを以て自己を辛辣に批判せよと宮崎には言い返しておく。

 僕自身、漫画も、一時期において相当読み込んできたつもりではいる。しかし、最後には、結局、文芸に逸れるのは何故なのであろうか。それは僕の脳のクセなのであることにしておく。

 手塚が為した偉業を集大する時期において逝去したのはまことに残念であった。享年60歳。窮理に対する可能性を妊んだままの死であったと思えてならない。天才の早すぎる死は一つの罪悪に他ならないのである。

 それにしても、両国という街はお相撲さんがたくさん歩いており粋な風情を感じる。駅も威容として威厳がある。昼食は、深川丼のぶっかけメシを博物館内の食堂で食べたが美味であった。さすが江戸東京博物館。博物館内のレストランは不味いと相場が決まっているが、東京江戸博物館のそれは上品においしく典雅でさえあった。7階にあるこのレストランからは、父が転校した2つ目の高校が見えた。父の転校歴は凄まじいものがある。それも祖父が国鉄に生きてきたが故。

 京都に憧憬するのもよい。しかし、当地から至近距離に江戸文化が息づいていたのである。今後は、江戸文化をも興味の射程内におさめるものとした。

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2008年5月29日 (木)

漫画領域における青春の巨匠はあだち充氏である

<あだち充>単行本累計発行部数が2億冊突破 「みゆき」「タッチ」などで人気
5月23日16時49分配信 毎日新聞


 「みゆき」「タッチ」などで知られる人気マンガ家、あだち充さんのマンガ単行本の累計発行部数が2億冊を突破したことが分かった。小学館発行のマンガ家で、単行本が2億冊を超えるのはあだちさんが初めて。28日発売の「週刊少年サンデー」(小学館)の26号は、「2億冊突破記念号」として、あだちさん描きおろしの特製ブックカバーを付けるほか、応募者全員サービスとしてあだちさんのマンガのキャラクターが勢ぞろいしたトランプをプレゼントするキャンペーンを行う。

☆☆☆☆☆

 夏・甲子園・高校野球。青春の駘蕩が今年もやって来ます。あだちさんの描くキャラの顔ってどれも似ています。というかおんなじかな(笑)。

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