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2009年3月

2009年3月31日 (火)

元気である理由はうつ病が治った証左ではない場合もある

 【私のうつノート 読売新聞生活情報部 中央公論社 第27回ファイザー医学記事賞優秀賞受賞】を読んだ。定型的なうつ病に関する経過が識してある点ではスタンダードな本である。

 定型的であると感じたものの、ここで取り扱っている病者は、双極2型障害であると診断されている。要するに、躁と鬱が波状的に出現する病態のことを示している。躁の時は、傍目からは、「元気になった」と映る。しかしそれは、たちどころに鬱への奈落へと沈み込む。

 当然、病者は、それが、うつ病の一分症であるとは気づかない。僕は、時折、自分が双極性のうつではないかと思い当たることがある。うつのフェイズと、そうのフェイズが繰り返し表出してくるのだ。しかも、そこに季節因子も感作してくるというよりも季節因子が強く表出してしまう。大概において、多幸感に満ちているのだが、冬期は、うつの奈落へと沈潜してしまう。

 とまれ、元気なのは、うつが治った状態とはいえない場合があることも充分に周知しておく必要がある。僕には神経症性うつ病という診断名があたえられている。確かに、一時は、神経症性のうつと観じられる時期もあった。それが遷延化して現在は次なるフェイズに突入したものと考えるのが一応において妥当であると思われる。双極性のうつとして遷延化しているが、程度としては軽症。ただし、難治性であると自己診断を下しているのだ。

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2009年3月30日 (月)

美しい魂を持った人たちとの別れは悲しくも淋しい-率爾ながら申しあぐる-

 僕は僕という自己価値のまったき暗き闇、ないしは誤解という陥穽への埋没または自己撞着の結果、仕事において甚だしくも故なき劣等感の苦海を徘徊していた。それに手をさしのべてくれてた数々の上司たちにその蒙昧から解き放してもらえたという感想をおぼえる。

 転出してゆくかたや退職してゆくかたには、率爾ながら満腔からの敬礼を申しあぐる。僕に実力不足のためにせっかくの好意も今年は徒になってしまったことは全身全霊丸ごと僕の責任である。好意に対する負託の一つとして今後は、さらに良い答えを僕がだし続けてゆく。

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格好のよい千葉県とはなにか

 千葉県の知事選で当選した森田健作氏の弁であるが、地方自治体における格好のよさとは何を指すのか・・・と頭を掠めた。

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中途失明者になったらどうするか

  音楽を聴きこんで思惟を深めることを至上の喜びと為すだろう。感覚器が一つでも稼働している限り生きている意味は充分にある。感覚器が途絶しても、思考することが可能である限り生きている価値は十二分に存在する。思考力が途絶した場合には僕個人の人生観に基づいて死を待つ。死はあちらから与えられる所以であり、なおかつ、命の自己決定権を人間は保有していない所以に依る。

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2009年3月29日 (日)

兵庫県立兵庫高校を敬愛の念を以て見詰めている

 妹尾河童が卒業した学校である。神戸一中なにするものぞ。僕は兵庫県立兵庫高校を愛して止まない。

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日本相撲協会のインフルエンザに対する危機管理は徹底している

 相撲協会では、十二月中に相撲協会員(力士・親方・世話人・行司・呼び出し・床山・事務職員やその家族など) を両国の相撲診療所に集めワクチン接種を協会負担で接種してインフルエンザに備えている。

 一方、プロ野球のほうでは2007年の段階においてチーム単位でインフルエンザ対策を講じていない。マイケル中村が罹患しているし、米国のメジャーリーグでは、松坂大輔も罹患した。【パンデミック 小林照幸著】に典拠。以下私見。

 日本の大手企業ではワクチン接種にかかる費用の一部負担をしているところも多いと聴く。企業活動において福利厚生科目として自己啓発等々の観点から映画やレジャー費を一部補填するのも悪くはない。しかし、それよりも遙かに重要なことは組織体の自己防衛、すなわち組織は人によって動くものであることに鑑みて、レジャー等の福利厚生費を削減してでも、ワクチン接種の一部助成を考えるべきだ。もちろん、これはお金の問題ではなく危機意識の涵養のためにである。

 また、当然、罹患者の出勤停止等々の措置をあらかじめ策定しておき強権(社内規則)を以て出勤停止が命じられるシステムの構築を急いでもらいたい。それは喫緊の課題である。企業は人で保つ。さらになおかつお客様に移したらコンプライアンスにもかかわる重要な事案に発展する。特に、サービス業・接客業においておや。個人のど根性にまかせて罹患者に自由出勤されても企業体としては得るところは少ない。それが、直ちに不当差別にはならないものと僕は信じている。もちろん、罹患は罹患で仕方がないことなので年休や勤務評定とは区別して考える必要がある。

 うつ病は心の風邪である。心の風邪も辛く大変な病であることから、メンタル系の病に罹患した社員は企業体には莫大な損益を蒙らせるが、悪質な風邪をインフルエンザと仮定した場合(風邪とインフルエンザは徹底的に違うが)において、その蔓延がもたらすインフルエンスは、当該企業活動をして麻痺させかねない事態を出来(しゅったい)せしむるに違いない。

 蛇足ながら、インフルエンスが大きいからインフルエンザなのであり、それがインフェクションするから感染なのである。インフルエンザは、感染というパラダイムをもつインフルエンスに由来する語義を充分に感得しておくべきなのだ。

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新型インフルエンザのパンデミックを目前に控えているのに大阪府では公衆衛生医師の確保も覚束無い状況が現出していることに重大な危機感をおぼえる

  橋下改革余波、医師職11人退職…予算減で「思う仕事無理」
3月29日7時38分配信 読売新聞

 医師の資格をもって公衆衛生政策を担当する大阪府の医師職の職員45人のうち、4分の1にあたる11人が3月末に中途退職することがわかった。

 橋下徹知事の財政再建策に伴う給与カットや担当分野の予算削減に対する不満などを退職理由に挙げ、「橋下府政では思うような仕事ができない」と明かす退職予定者もいる。橋下改革への不満が府庁内部から噴き出した形で、府は「職員の士気が落ちている証し」と危機感を募らせている。

 府によると、医師職は医師免許を持ち、府健康福祉部で医療行政を所管するほか、14か所ある府保健所で衛生や保健業務を担っている。例年、医師職の中途退職者は2~3人だが、今春は11人が退職を希望。行政事務を担う3人と保健所長ら出先機関の8人で、部次長級の幹部職員も含まれている。退職後は、民間病院で医師として働いたり、他の自治体に転職したりするという。

 府は昨年8月から医師職を含めた一般職員の基本給を最大16%カット。また、生活習慣病の研究や循環器疾患の予防などに取り組む府立健康科学センター(大阪市)の新年度運営事業費を前年比約4000万円減の6億7000万円にカットするなど、医療対策費の削減も進めてきた。

 退職予定者はこうした財政再建策に不満を漏らしているといい、退職する課長級職員は「すぐに結果を求める橋下知事の下では、成果が見えにくい研究や、予防業務に、十分な予算措置を期待できない」と話す。

 府は大量退職を受けて、府内の自治体に派遣している医師職を引き揚げる一方、医師職採用の年齢制限を従来の「40歳」から「64歳」に引き上げ、随時採用する方針。府幹部の一人は「予算のカットで、仕事へのやる気を失わせてしまったといえる。当面は、残されたぎりぎりの人数の医師職でやっていくしかないが、これ以上辞められると、組織がもたない」と話した。

 府職員の人件費削減を巡っては、退職金の5%カットを実施する直前の昨年7月、カット前の金額を受け取るための「駆け込み退職」が続出。前年の3倍を上回る33人が府庁を去った。入庁希望者も減り、高校卒業者を対象にした今春の募集では志願者が前年度比36%ダウン。府立5病院の看護師採用でも応募数が定員割れした。 

最終更新:3月29日7時38分

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パンデミック-スペイン風邪の場合-

  一九一八年から翌年にかけて感染爆発を起こして世界で四千万人が死亡した。一年間余りの短い期間にかくも膨大な死亡者数をカウントしたのは、地球の歴史において戦災や他の疾病でも例はなく最悪の記録とされている。

 また、スペイン風邪は、その発生源はスペインではなくアメリカとみられている。第一次世界大戦のなかで同国は情報統制下にあったため中立国であったスペインが情報を発信したにすぎないのである。【パンデミック 小林照幸著】に典拠。

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2009年3月28日 (土)

形而上学の特性

☆ まず、エビデンスは不要である。

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形而上学の学問的絶対優位性

  まず始めに形而上学の学問体系ありきの所以によって純粋思惟に依らない形而下学の学問が軽蔑されるのは当然である。思想こそが学問の精華である。喩えるなら臨床医学などは純粋思惟に依らない実学の最たるものでありそこには思想性における顕在的な発露は認められない。形而下学として臨床医学は学問としては二流であるが、またそれとは別に、臨床医学は特段に必要とされる学問の系でもある。しかし、泣いても笑っても学問の王道は形而上学に停まる。

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ごめんね痔瘻

 ジローがらみの唄は多い。「ゴメンねジロー」という唄もあることに思い至った。

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いまさら痔瘻

  嘗て、【いまさらジロー】 という唄があった。それはともかくとして、家族が痔の手術を受けることになった。診療科の名前は肛門科である。医院の名称も○○肛門科クリニックであることから要するに病院ではなく医院である。ベット数は19床。

 全身麻酔下の手術ではないので安心はしている。入院期間は一週間。しかし、医師が一人しかいないのだ。夜間は看護師一人体制となり緊急事態が発生した場合にどう対応する点において些か不安である。 医師は、すぐに駆けつけられる場所にいると述べているが・・・。

 おしなべて、肛門科とか性病科というのは迂遠である。大抵は花柳街でひっそりと開業しているというイメージが強い。主治医は防衛医大卒であり頭脳は怜悧である。そのような医師が、何故、肛門を専門の診療科として選択したのかは謎である。

 もちろん、肛門外科医をぞんざいにみているわけではないが、何も肛門を専門としなくてもよいような気もする。極論すれば、何が悲しくて肛門なのかという感慨を持つに至る。自衛官には、痔で悩む者が他の職種よりも多いようにも思え、自衛隊において肛門外科医のニーズは高いとも考えられる。しかし、防衛医大とはいえ、学生に対して、「貴様は肛門を考究せよ」というような命令は出せないはずだ。謎は深まる。

 防衛医大は負傷者の治療から外科を得意とするというのも嘘である。そんなことはあり得ない。ただし、通常の医大とは異なり軍陣医学は必須科目であるであろうとの推察は容易である。

 嘗て、養老孟司が解剖学実習時に学生に対して肛門を持ってくるように命じたところ、思慮の足りない学生は直腸の遠位部を持ってきたので困惑したことを何かの本に書いていた。養老孟司によれば肛門は概念として存在し、実存の肛門は、あたかも存在しえないかのような錯覚を起こすような表現をしていたが、どうやら、肛門というのは実在するらしい。もちろん、養老に肛門の知識がないはずがないので単なる喩えなのであろう。

 直腸遠位端から歯状線を隔てて開口して部分が肛門であり組織学的にも神経解剖学的にも直腸遠位端とはまったく別物である。肛門という場所は存在しているのだ。

 誤解のないように申し上げておくが、肛門も肛門外科医も大切な存在である。 また、その本態は、消化器外科の一分科であり、また、昨今、大腸がんの増加から大腸の系を中心とした大事な領域を守備範囲とする医師たちであるものと当識していることを強く強調しておく。

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2009年3月27日 (金)

熱く論争する時代でもない

  「論争できる」ということは、すでに 論争当事者間において前段階的なコミュニケーションが成り立っているということを意味している。それは、論争相手に対する或る種の敬意の表現でもある。【昭和のエートス 神戸女学院大学文学部教授 内藤樹】に典拠。

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2009年3月26日 (木)

精神科受診患者も腹の底では何かを考えているものである

 【精神科医は腹の底で何を考えているか 春日武彦著 幻冬舎新書】を読了した。これまで精神科治療における診断の方法が今ひとつ理解できなかった。それを素人にも解りやすく解題している点においてこの本は卓越している。

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2009年3月25日 (水)

城山三郎は詩の創作もしていた

  【どうせ、あちらへは手ぶらでゆく 城山三郎著 新潮社】を読み終えた。前作、【そうか、もう君はこの世にいないのか】のほうが惻々と胸に迫るものがあったが、前掲の本のなかに以下のような詩句が収載されていた。

 一日は一日のために
 今日は今日のために
 今日の他に人生はない
 今日のために今日がある

人生を味わい尽くした人から発せられる言葉であるように感じられた。

 他には・・・

一日即一生
茫々一場夢

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2009年3月24日 (火)

憲兵は軍人から蛇蝎のように嫌われる存在であった

 戦後、自分が憲兵であることを秘匿し終生の汚点として考える者がたくさん存在した。

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そして池田晶子女史は魂の領域に踏み込んだ

おおよそ哲学的に解題してゆく方法が馴染まない魂のことについて池田は考え始めた。それは、如何に、哲の女、池田晶子といえども避けてとおることができない一つの必然であり、当然の帰結であろう。【魂とは何か さて死んだのは誰なのか 池田晶子著】を読了した。

 池田の次なる展開は、仏教者との対話へと発展してゆく。それが、まさに【君自身に還れ 知と信を巡る対話 池田晶子 大峰 顯共著 本願寺出版】という書籍において一定の成熟した気配として感得できる。

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人間一人一人を観察すると

 まるで軍艦が遊弋しているかのように感じることがある。

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2009年3月23日 (月)

火葬場職員や葬祭業者への転職を考えていた

  僕は、それほどまでに阪神大震災が起きた頃に就業していたその仕事は嫌いであった。当時、近隣自治体で火葬場職員を募集していたので応募しようとしたが家族に猛反対を受けて断念した。当時、作り笑いをするのも苦手であったために葬祭業に転職を図ればムスとしてよいと思い転職を図ろうとしたのだ。それも、今となっては遠い記憶の一つである。

 さて、【納棺夫日記増補改訂版 青木新門著 文春文庫】 を読了した。初版が1996年である。序文には吉村昭が稿を寄せているのに先ず驚いた。納棺夫という稀少体験をした者が興味半分でお金儲けのために筆を執ったものではないことは吉村の名においてすぐに分かった。

 打ち上げ花火のような一発屋的な本が世の中に溢れかえっている。出版を手懸かりにマスコミ等々に進出して行く、或いは、商品を展開してゆく者が多いのは即今の出版事情をみれば歴然としている。そして、一時、ブームを形成した後、それは凋んでゆく。納棺夫日記はそういう本とは明らかに一線を劃している。

 青木は北陸は富山の出身である。そんなことから、親鸞の系譜を継承し宗旨的には浄土真宗である。そう、山折哲雄の系譜の色濃く反映している。また、青木は学生時代において早稲田で文学をやっていた。そのために一定のインテリジェンスの薫りもする。

 読者は、どう解題してゆくか。死体を扱う納棺夫たる職業はどんなものなのかという興味本位で読み始めると、三島由紀夫が出てくるわ親鸞が出てくるわで退屈な本に忽ちその姿を変える。では、納棺夫の哲理的な部分を読み込んでいこうとすると、当然のこと乍ら、山折等々の仏教学的な考察の比較において浅い。とまれ、真摯に書かれた本であることには間違いないのだが・・・。

 この本が映画「おくりびと」の底本になった。もし、元シブガキ隊の本木氏がこの本を発掘したのであれば彼の感性に改めて注目する必要がある。映画のほうは未だ観ていないので何ともコメントできないが、この命軽き時代の渦中、その命への眼差しが、ただしく死者に向かっている点においてなおかつ、本木の年齢を考えるにつけそれは驚きに価する。

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2009年3月22日 (日)

現象又は存在としての陸軍憲兵大尉甘粕正彦

  【甘粕正彦 乱心の曠野 佐野眞一 新潮社】を読み終えた。甘粕は、アナーキスト大杉栄、伊藤野枝、その甥の宗一を殺害した犯罪者である。結果、投獄され軍籍からも離れて民間人に降下している。

 甘粕は名古屋陸軍士官学校をおえながら、自身が落馬事故を原因とする体躯不如意をきっかけに陸軍の本流から離れて、傍流の憲兵として生きてゆかざるを得なかった。

 そこに甘粕の屈折した諦観のようなものも見て取れるが、もちろん焦点は、甘粕事件の背後に陸軍の意志(陸軍が甘粕に対して非合法的に大杉らを殺害するように指示していた)が働いていたのかという点に尽きる。しかし、それは歴史的興味であり、僕にはどうでもよいことなのだ。

 昔、【機雷 光岡明著】を読んだ。こちらは創作だが、海軍兵学校をおえながら、肺結核のため海軍の本流から外れて機雷の敷設等々をおこなう将校の物語であったがそれも措く。しかし、鬱勃たる感の発露が上手に表現されていた。

 人生は、あがらいきれない運命という、あちらのかたの多いなる意志に束縛されている。落馬事故がなければ、甘粕は歴史のなかに単純に埋没しているはずの人間だった。とまれ、甘粕が何をした人物なのかわかったし、何が焦点なのか理解できた。甘粕事件、または、甘粕正彦という事件・人物は一つの現象として僕のなかで固定した。

 蛇足だが、アナーキストであるにもかかわらず大杉栄が名古屋陸軍士官学校に在籍していた(素行不良のため中途放校になっている)ことには些か驚いた。くわえて、前述のとおり、甘粕も、また、名古屋陸軍士官学校の卒業である。

 本のタイトルにある「乱心の曠野」とは何を指すのか。甘粕は恩赦を経て中国に渡り、ここでも陸軍を秘密裏に支え各種の諜報や諜略に関与した。甘粕が如何に陸軍から信奉され、又は、隠然たる力を持っていたかに就いては梅津美冶郎のほうから敬礼をしてことからもわかる。

 果たして、甘粕が乱心の狂気を発現していたのかに就いても不明でるが、少なくとも佐野眞一の文脈からは乱心、すなわち、医学的な意味での精神障害的要素は微塵もない。佐野もまた、そういう文脈で読み取られることは本意ではないだろう。「乱心の曠野」とは、狭義では中国のことを指す。また、広義のそれは、甘粕の空虚たる内面のことを指す。それは、陸軍のアウトローとしての影の部分を支えて来た甘粕の心性を形容する言葉としてはふさわしいものと思えた。

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2009年3月21日 (土)

マザー・テレサはヒンドゥー教の神殿内に「死を待つ人の家」を造った

 マザーが、貧しく瀕死の人たちを収容する施設を提供して欲しいと市役所に訴えたところ、ヒンドゥー教の牙城カーリー神殿内のホールが提供されることになった。

 カーリー神殿には、四百人もの神官が仕えており、そこで、異教徒のシスターが活動しようというのだから反発が起きないほうがおかしかった。日本でいえば、お寺や神社の境内で活動するような感覚的な違和感がある。

 そこに運ばれた貧者たちは、キリスト教に改宗させられて埋葬されるという噂が流れ、マザーを殺すという言って脅かす者もいた。もちろん、改宗など勧めてはいない。

 脅迫に対してマザーは答えた。「どうぞ、ご自由に、私が天国に行くのが早まるだけです。でも、私が死んだ後は、あなたたちで、この仕事をやってくださいね」

 それでも、反発が止まないために、市の当局者が実情視察に来て、黙々と看護をしているマザーの仕事ぶりに納得した。

 そして、市の担当者は言った。「マザーを追い出してもよい。しかし、あなたたちがマザーと同じ仕事をするという条件で」 と。とても余人をして肩代わりなどできるような仕事ではなかった。

 瀕死の異教徒を、献身的な愛情を全力で看護し、その死を看取る。なんの見返りもない、いわば汚れた仕事を、キリスト教の説教をするでもなく、黙々と愛情を注ぐだけのマザーたちに、反対を唱えていた人たちも次第に認めだしはじめた。

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2009年3月20日 (金)

美によって昇華する魂と浄化されてゆく魂魄

 その心性のありようやその構えるさまは確実に存在する。

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透明になってゆく、或いは、透明になって逝く

 命は心に洗われ、心は命に洗われ、とまれ、いづれにしても、その魂と呼ばれるものは限りなく透明になってゆく。

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艦として自衛隊艦船から民間の船を観じれば

  民間の船舶など所詮は商船なのだ。国威の象徴としての自衛艦を含む軍艦が公海上で他国商船と遭遇した場合にはもちろん商船のほうが旗を降ろして軍艦に敬意を顕すのはシーマンシップの美しい一つの形である。そんな遺風も廃れたときくが・・・。

 日本の商船も他国の軍艦に対しては旗を降ろし敬意を以て遇することは当然なのであるが、それにしても、過日、アフリカ・ソマリア沖の海賊対策に出港した護衛艦2隻。総員総甲板にての登舷礼の美しきこと。その点においては昔日の海軍と何ら変わりはない。

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2009年3月19日 (木)

ネコバスの発想

  それは驚きに価してまたそこに考案者として宮崎駿の卓抜な天才性を発見するのである。

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さらば、ホスピス

  こうしてブログをつうじて生と死の要諦について考えを進めてきた結果の一つ結論としてホスピスは僕には不要であるという認識の一つの形の結論を導き出すことができた。

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2009年3月18日 (水)

放射線被曝が生体に及ぼす影響

   放射線の吸収線量を表す単位が「グレイ」である。一度に5グレイの放射線被曝を受けると骨髄が破壊されて一週間程度で感染症で死亡する。因みに、5グレイをカロリーベースに置き換えると、コーヒーを一杯沸かす程度の熱量に相当する。

 10グレイでは、腸管死(絨毛の粘膜細胞の幹細胞死)を起こし3日で死亡する。50グレイでは、脳神経細胞の直接死、中枢死として即死する。【がんをどう考えるか 三橋紀夫 新潮新書】

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2009年3月17日 (火)

僕は僕の人生と和解する

  和解してこそ僕は僕として在るということを満腔の意を込めて僕は僕であると言い得る。僕は僕の人生と和解したのである。僕は、これまで辿ってきた僕の人生の歴程を赦免して僕は僕の人生を肯定することにしたのだ。

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2009年3月16日 (月)

春は残酷である

そう評した詩人は誰であっただろうか。春の吃点において確かに春は残酷であるに決まっている。

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2009年3月15日 (日)

新型インフルエンザに関してノンフィクション作家小林照幸氏が指摘していること

  その対策においては多くのことが行政サイドからホームページをつうじて示されているので、【パンデミック-感染爆発から生き残るために-小林照幸 新潮新書刊】の内容と重複していない部分に就いて記す。

 厚労省の推計によれば、日本で新型インフルエンザの患者が一人でも発生した場合、人口一億三千万人のうち、二ヶ月間で二十五%にあたる三千二百万人が感染し、最大で二%にあたる六十四万人が死亡する。また、東京在住の日本人一人が、海外で新型インフルエンザに感染して帰国した場合、二週間で沖縄から北海道まで全国に感染が拡大する。パンデミックが起きれば各職域で四十%が欠勤することになる。

 通常のインフルエンザウイルスは、呼吸器と腸管のみを冒すのに対して、H5N1型強毒性鳥インフルエンザが変異して人に感染する新型インフルエンザウイルスでは全身感染を引き起こす可能性が高い。

 死亡者は、若年層に集中する。これは免疫系が活発であるためにサイトカイン・ストームという現象を発現して多臓器不全の状態になる所以に依る。スペイン風邪の事例を参考にすると、十五歳~三十五歳をピークとして死亡率が高いものと想定できる。なお、現在、パンデミックフェーズは3(1~6まである)の状態にあり、それはパンデミックの警戒初期段階である。

 また、某医師会では、会員医師に対してアンケート調査を実施した結果、発熱外来等々への派遣要請等が来た場合に非協力と言い切った医師が過半数を占めた。

 パンデミックワクチンは新型インフルエンザのパンデミックやアウトブレイクが発生しない限り誕生しないが、日本では既にプレパンデミックワクチンが存在する。2008年から東京都内の病院医師、空港、港湾職員等々を対象として副作用に就いて治験的な開発が始動しており最終的には、六千四百人に治験的に接種を施す。

 以後、問題がなければ、2009年度以降、医療・警察・救急・自衛隊、総理・閣僚・公務員、ライフライン関連業者物流業者の順で接種が始まる。とりあえず、一般国民は後回しになる。プレパンデミックワクチンが現在においてどの程度効くのか判らないが、一応、ブースター効果があると現時点では考えられている。

 プレパンデミックワクチンでは新型インフルエンザは防ぎきれない。パンデミックワクチンが開発流通するまでには早くて半年はかかる。

 厚労省では、社会機能保持者一千万人分の接種が終わった段階で、次に一般国民への接種の検討を開始する。現在、政府は、パンデミックワクチンの全国民分の備蓄は考えていない。その辺りの事情を国立感染症研究所の研究員の岡●氏(書籍には実名で記載がされている)は次のように述べる。以下、箇条として書き出すと・・・。

・パンデミックワクチンの製造には、実際のウイルスが出現してから生産を開始しても完成まで一年程度の時間がかかり現状、供給人数は公表されておらず具体的生産計画はない。
・プレパンデミックワクチンは、最終的には、三千万人しか生産備蓄しない。
・タミフルは、ウイルスの増殖抑制という観点から初期段階では効果的である。しかし、新型インフルエンザでは通常の三倍量のタミフルの投与が必要となり生産・備蓄をどうするか。またタミフルの投与により、死亡域が高い十代での神経症状様の発作が発現している点にも問題もある。
・国民の七割に免疫ができると新型インフルエンザの流行は終熄する。
・プレパンデミックワクチンを造るのに有精卵二個が必要。一億人分では二億個の有精卵が必要。
・自宅療養が主眼として重症者のみ医療機関で治療をすることになっているが、治療の優先順位や食料の備蓄問題等々において現実的な対策が伴っていない。以上。

以下【パンデミック-感染爆発から生き残るために-小林照幸 新潮新書刊】を読んで、僕が気になったところを抜粋しておく。

・ワクチン接種の副作用としてギランバレー症候群が発生することもある。
・インフルエンザワクチン接種は、予防という意識よりも、副作用を起こす危険なものという意識に変容している。
・副作用・費用対効果の面で全国民分のワクチンの備蓄は疑問視する声もある。
・ワクチンには有効期限があるために大量廃棄となることも大いに考えられる。その都度、大量生産をするのか。

※ 当記事は、【パンデミック-感染爆発から生き残るために-小林照幸 新潮新書刊】という本に記載されている新型インフルエンザに関する部分を抽出してサマリーとして纏めました。なお、記事の性格上、僕自身の意見を反映させていないことを改めて強調しておきます。

 例えば、東京都では以下のような発生時マニュアルを策定しているようです。

http://www.chieiken.gr.jp/flu/tokyo-keikaku.pdf#search='東京都%20新型インフルエンザ'

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2009年3月14日 (土)

紫禁城に行きたいのである

  紫禁城はどういう来歴を辿った城なのかと興味を懐いた。そこで、【紫禁城 入江曜子著 岩波新書】という本を読了した。中国史に就いても疎いため、その歴史的意義については理解が出来なかったが、紫禁城という言葉は如何にも蠱惑的だ。現在、故宮博物院として利用されている由。溥儀も生活していたということも知った。

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2009年3月13日 (金)

ロジカルな幸福

論理でいうなら、「人は幸福を求めるから不幸になる」。結論は、たった一言で済んでしまう。【池田晶子】

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2009年3月12日 (木)

眼球が充血している理由の一つ

 ドライアイでも眼球が充血することがあり、なおかつ片側性にも発現するのだそうだ。

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2009年3月11日 (水)

演歌または艶歌生成の歴史は夜にある

  演歌は所作は夜である。いくら好きでも朝から聴く性質の音楽でもなく、朝から作詞されるものでもない。また、演歌が体現してみせている世界も夜において開花する状況のものである。

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2009年3月10日 (火)

がんの放射線治療における免疫系の賦活化

  それは放射線ホルミシスと表現され、微量の全身被爆を受けると、免疫細胞が活性化されて免疫機能が亢進する現象が起きることが明確化されている。【がんをどう考えるか 三橋紀夫 新潮新書】に典拠

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2009年3月 9日 (月)

新型インフルエンザを平易に解説した本が出版された-必読書として-

 【パンデミック 小林照幸著 感染爆発から生き残るために 新潮新書】を読んだ。この人が書いた本は良いものが多い。明治薬科大に学んでいることから医療系の発信が多く「毒蛇(沖縄におけるハブ毒の防圧)」や「フィラリア(犬のではなく)」等々は興味深く読ませて戴いた。その口調は決して煽情的ではないところが気に入っている。

 現状、新型インフルエンザが発生した場合には、どういう対応したらよいのかという点において行動指針が判然としない。もちろん、判然としてないのは個々人が知る努力をしていないが故の認識不足の場合が多く、国や自治体は既に発生時マニュアルを策定して発生に備えているのだが、本当に、そのとおりに行動すれば罹患を免れるかといえば、必ずしもそうではないという印象が残った。

 新型インフルエンザの発生の結果、社会生活におけるすべてのフェーズで四割の機能がダウンするらしい。すなわちそれは、地域保健の要である保健所も四割の機能がダウンすることを示しており対応を予定している病院も通常戦力の六割稼働の状況下、個人がどのように対応するかについては極めて難しい問題を秘めている。

 WHOに拠れば、新型インフルエンザは、いつ発生してもおかしくない状況にあるそうだ。そんな意味から、謦咳の書として是非、一読を奨めたい。そして、各企業等々でも、発生時のマニュアルを策定しておく必要を強く感じた。しかも、その勤務箇所毎に個別の指針を策定しておくことが喫緊の課題であると強く思った。新型インフルエンザを考える場合、やはり、企業活動は不要不急として必要最低規模の稼働率にしておくのが望ましい。

 なお、総理大臣をはじめ警察官や医師、保健所職員等々の公務員系の人たちは、プレ・パンデミックワクチンの接種が優先的に為されるが副作用のほどは皆目未知数であるという。これもこれで気の毒ではあるが、自衛隊が死を賭して国防に当たるように、公務員は国民の福祉に寄与するために存在しているのだから身を挺して防疫にあたる義務がある。

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2009年3月 8日 (日)

大日本帝国海軍連合艦隊司令長官 山本五十六の何処が何故そんなにも偉かったのか

 山本五十六が何をした人物であるかは知っていたが、何故、そんなにエライ人なのか不明であった。もちろん、人柄に関しても不明。

 【山本五十六 阿川弘之著 新潮社】を読了した。五百頁になんなんとする大洋な文字を駆使して、その要諦を阿川が伝えてくれたお陰様を以て、その偉いといわれる所以を、少少に蕭蕭と理解することができた。この本は、阿川のライフワークの一つとして海軍提督シリーズ三部作を構成し他二人に井上成美と米内光政を指定している。また、左に示した三人ほど職位は高くなかったが、小沢治三郎・山口多聞・伊藤整一も僕が好む将星たちである。

 さて、山本五十六の何処が偉かったか。それは、日米開戦の阻止に最後まで尽力したこと、さらに、大艦巨砲主義を退け航空戦力の拡充に尽力した点でも、当時の海軍のなかにあって先見の明がありその二点が高い評価が為されている。

 しかしところが、山本五十六は、米国駐在武官としての経験等々をとおして米国と敵対することは無謀であることを理解していたことは当然のことわりであり、くわえて、飛行機の本格的な台頭に伴い勝敗の契機は航空戦力如何で決することなどは既に自明であり、改めて卓抜なる提督であるとも感ぜられない。一命を賭して既に予備役編入にある海軍の旧臘なる大艦巨砲主義を信奉するお歴々に反旗を掲げた点でも一応において偉かった。が、日米開戦に異を唱えるのは、寧ろ、海軍トップである山本の職責から、当然、具申すべき職掌であるはずであり、その点において特段の叡智を山本五十六からは感じ得ることはできない。この時点において山本五十六は凡将である。

 山本五十六の判断もただしく正確であったに違いないし、しかし、山本五十六の偉さとは最終的には連合艦隊司令長官たる山本五十六の戦死ということに収斂するような気がしてならない。その死によって山本五十六は一挙に神格化され軍神になった。山本五十六が神格化したことによって山本信仰のような雰囲気が醸成されたのである。そのために郷里の長岡には軍神山本神社の建立をしようという動きもあったともきく。

 あの日、あの時、あの場所で山本が死ぬ理由など一つもなかった。そもそも、あそこに行く必要などなかった。何故、其処に山本は行ったのか。山本は死に場所を得るためにそこに赴いたと思うより他に解釈の余裕というか隙間がない。勝てる戦争なら、山本は絶対にあそこには行かなかった。負ける戦争だからあそこに行き死んだのである。その意図は責任感の発露とも解し得る。

 作者の阿川に関していえば、此所まで山本のことを調べ尽くした点において立派である。必ずしも、海軍兵学校卒ではなく、所詮は海軍予備学生上がりだが、やはり、海軍の申し子といわざるを得ない。この本を読んで阿川さんという作家の存在をやっと認める気になってきた。否、とっくに認めていたのかも知れない。「雲の墓標」において阿川の戦争文学的基盤は盤石の喩えを形成していたものと断定し得る。

 歴史的な事実を追った本は必ず一人歩きを始める。例えば、新撰組において、「新撰組血風禄」や「新撰組始末記」が小説であるにもかかわらず、一つの確かな史実かのように理解されているように、山本五十六に関しても、この阿川の作品が史実におけるスタンダードになってゆくことは必定であると思えた。

 この本の初版は、昭和三十九年と古い。これとは別に冷徹に戦史を眺めた一群の者達が存在する。現在、彼らの研究の結果、真珠湾攻撃の様態に就いてはつぶさに検証され、防衛省戦史編纂書籍のなかでも、米国は事前に真珠湾攻撃のことを察知していたというのが歴史的事実なのだそうである。もちろんつまり、それは、日本における防諜の破綻の意味を為し暗号が事前に解読されていた所以によるものである。

 山本の人柄は、偏奇にして利発、山師的側面もあったものと理解した。

補遺

 当ブログでは、この本からも言の葉を拾ってゆくものとした。

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2009年3月 7日 (土)

マザー・テレサが貧者の衣服の洗濯にあたり洗濯機を使用しない理由を問われて曰く

 私たちが、ソーシャルワーカーなら洗濯機を使うでしょうね。しかし、私たちは修道女です。それに、世界の貧困層には、まだまだ洗濯機がないのが普通なんですよ。

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2009年3月 6日 (金)

落語とは人の業の肯定である

  立川談志曰く「落語は逃げちゃった奴等が主人公なんだよ。人間、寝ちゃいけない状況でも、眠きゃ寝る。酒を飲んぢゃいけないと分かっていても、ついつい飲んじゃう。昼間から寄席で油売ってる奴なんて禄なもんぢゃない。でもな、努力して皆偉くなるなら誰も苦労なんかしない。努力しても偉くなれないから寄席に来ているんだ。」と 【赤めだか 立川談春著 扶桑社】に典拠。

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大概、メタボリックシンドロームとは幻想であったのだろうか

  生活習慣病とメタボ腹「関連強くない」…厚労省研究班 メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)の診断基準は、腹囲が男性85センチ以上、女性で90センチ以上あることを必須条件としているのに対し、単に腹囲が大きいだけでは生活習慣病の危険要因としては不十分という調査結果を、下○浩史・国立長寿医療センター(愛知県大府市)研究所部長を班長とする厚生労働省研究班がまとめた。(読売新聞)

☆ 何が正しくて何が誤りなのか分からない。僕の僕という体躯においてそれは本当にメタボリックであったであろうか。

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2009年3月 5日 (木)

落語に造詣を深める端緒として

  落語というものに興味を持ちながらも今ひとつ接点がなかった。その端緒を掘削すべく【赤めだか 立川談春著 扶桑社】という本を読んだ。特別な感興もないが、立川談志の弟子を努めることはなんとも労苦の絶えない作務である。それはともかくも、立川談志という男は情にも厚くて少なくとも馬鹿ではない。

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哲学者 池田晶子の ぞろぞろと

○人間とは思い込みの動物である
○人生とは煎じ詰めれば「ご縁」である
○良くいう人と同じ数だけ、悪くいう人がいる。逆も真。 
○なるようしかならないようにできている。
○結局のところ最大の謎は死ぬということだ。

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がん治療の評価基準としての生存率と奏功率

  手術や放射線治療の評価は【生存率】として表現する一方、抗がん剤は【奏功率】として現され、50%以上がんが小さくなった患者の割合を示す指標である。現状、抗がん剤では、がんを治すことができないために、どのくらいがんが小さくなったかで評価するしかないのが現状となっている。【がんをどう考えるか 三橋紀夫 新潮新書】

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2009年3月 4日 (水)

花粉症とは病なのであろうか

 それを考えると判断停止となる。

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明治時代を定義する

  明治とは、近代と近代以前のいわば、「汽水域」のような時代である。【昭和のエートス 神戸女学院大学文学部教授 内藤樹】

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最も高価な医療器具とは何か

○ 炭素イオンを使用した重量子線治療装置。国内には放射線医学総合研究所と兵庫県立粒子線医療センターの二施設にある。建設設置費用は一施設二千億円也。

○  陽子線治療施設に関しては国内で六施設。設置費は百億円。年間患者数四百人也。
【がんをどう考えるか 三橋紀夫著 新潮新書】に引用。

因みに、ジェット戦闘機が一機八十億円也。

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2009年3月 3日 (火)

山本五十六の言葉に寓意する

苦しいこともあるだろう。 
云い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。 
腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。
これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。

☆ 寓意の意味をしかと理解すべし。あくまでも寓意。真実を語り得ない故の寓意。

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無窮への献辞

○ 生きば生きん死なば死なんと思えただ その行き先は有無にまかせて
○ 生まれ来たその前世を知らざれば 死にゆく先はなお知らぬなり
○ 始めなく終わりもなきにわがこころ 生まれ死するも空のくうなり
○ 死にはせぬどこへも行かぬここに居る たずねはするなものは言わぬぞ

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2009年3月 2日 (月)

乳がんに罹患してから五年経過後のことに想いを馳せる

  乳がんの治療が奏功して五年生存率をみると一見良好な成績を修めているようにみえるが、さらに長いスパンで観察してゆくと生存率曲線は下降の一途を辿る。つまりそれは、何年経っても治ったと言えない乳がんの状態にあるといえる。

 治ったと信じていても、十年、二十年経過後に転移が突然出現してくる場合があるが故の不可解さを、【がんの休眠】として考えてみる必要がある。左が明確化されたため乳がんは全身病と考えられるようになり治療法も変化してきた。その結果、局所制御率を高める手術方法は排除され乳房温存療法が急速に普及した。【がんをどう考えるか 三橋紀夫 新潮新書】に典拠。

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2009年の航空ジャンク市の日程が決定した

http://www.aeromuseum.or.jp/

http://allabout.co.jp/travel/airplane/closeup/CU20040221A/index2.htm

 航空機関連グッズの購買はともかくとしても、航空科学博物館から眺める成田空港を発着する航空機の様子は圧巻です。

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おくりびととして納棺師を養成する専門学校がある

 http://www.sundai-th.jp/sogi/

 そのマテリアルは何であれ死を凝視する職業には華こそないが、真理が存在している可能性もなくもない。医と僧、そして、おくりびと。その三者が相俟って、とりあえず死というものは完結するものとも思えなくもない。各々が、一つづつ死を凝とする大切なエレメントなのである。

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建仁寺や東寺の仏像盗難事件に想う

 悲しくも許せない言語道断の行為であり到底、寛恕の範囲を超えている。何故、国民の宝たる文化財を私物私有しようとするのか。それはそこにあるからそれなのであり、それがそこになければそれではない。

 それがそこにないという定義において盗難仏像の価値は零落し一銭の価値もない物質となることを犯人たちは理解していない。銀行強盗をして一銭も得ることがなく現行犯逮捕されるような犯罪類型に酷似している。

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JR東日本旅客鉄道株式会社の全面禁煙の取り組みはあまりに遅すぎた

http://www.jreast.co.jp/nosmoking/index.html

 やっと、全面禁煙にしたのかという感がある。あまりに遅すぎる対応であるという誹りは免れない。

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キリスト者をめぐる男女間の認識的視線の若干の差異

 女性キリスト者は、マザー・テレサを含めて「私はイエスの花嫁」だという。しかし、男性キリスト者はそういうことがいえないためにその根拠を、神の愛におけるイエスの正義に殉じることであるとただしく定義する。

 もちろん、キリスト教信仰の要諦において男女間の格差はないが、シスターが貞潔という時には、いうなれば、愛する夫に従う喜びがありはしないか。それが女性の強みなのだ。左の如く、元上智大学副学長アンセルモ・マタイスは指摘している。

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2009年3月 1日 (日)

がんの進行度における日本と欧米の認識的差異

 がんの進行度を示す指標として、TNM分類がある。Tは原発腫瘍の浸潤度、Nはリンパ節転移の系、Mは血行性転移の系を示す。これは、UICC(国際対がん連合)  が定めた世界共通の基準となっている。

 しかし、日本ではこの病期分類とは別に、それぞれのがんでの取り扱い規約や病期分類を採用し乍ら治療方針を決定している。そのためにダブルスタンダードという状況が現出している。その原因は、欧米と日本の外科医のがんに対する考え方の相違に来因する。

 欧米ではリンパ節転移があれば全身にすでにがんが播種しているとみるが、日本ではそれを局在性のものとみる。

 TNMについて追論すれば、cTNM(臨床的評価)とpTNM(病理的評価)に分類できるが、cとpが一致することの方が寧ろ珍しいのだそうだ。【がんをどう考えるか 三橋紀夫 新潮新書】に典拠。

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S.E.N.S.の音楽性に自己修復機能を認めた

 今朝のラジオ深夜便では、S.E.N.S.という音楽ユニットの勝木ゆかりさんが出演しておられた。癒しの音楽ではなく、癒す力を喚起せしむる点において他のイージーリスニングと一線を劃していると思えた。

 勝木という女性の声の透明感にも些か眩惑された。未だ、少女かと思ったら僕よりも歳がいっているという点でも驚きを禁じ得なかったが、その口吻から見事な感性をなみなみと湛えていることが理解された。それは、直感にも近い音楽性の発露とも感得でき霊性に近いものがある。

 この日の夜のアンカーは柴田祐規子さん。毎度のこと乍ら、話を引き出す能力は卓抜で安定感がある。この人は、言葉が言葉を誘引しそれが炸裂または誘爆を起こすということを知っている。そして決して誤爆は起こさない。それがアナウンサーにおける知というものなのかもしれない。ともあれ、早速にもS.E.N.S.のCDを購入することとした。

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二月が終わってくれた-冬期うつからの解放の時期-

  僕にとって最悪の季節である二月が終わってくれた。待っていれば、二月など自然と終わるのが月日の倣いであるが、冬期うつが強く発現する二月は、いうなれば鬼門の月である。ここのところ、太陽が早く昇るようになってきたのは嬉しい。

 二月と三月とでは実感がまったく異なる。二月はどん底、三月は耀躍。とはいいつつ、未だ未だ、残心の時期にある。現実的な春到来を四月と定めているのである。いづれにしても、時間など、早々に過ぎればよい。今年・来年・再来年・・・。早々に過ぎ去ってしまえ。
 
 それにしても、総じて、今冬は暖かかった。いつぞやは、暑くて、Tシャツで過ごせた。冬期における地球温暖化も僕個人の都合としては快適である。夏は辟易するが・・・。が、夏場の地球温暖化のほうが冬に比較すると遙かに凌ぎやすいのである。一度だけ熱中症様症状を発現するだけで済む。

 一月・二月は、うつの発症抑制のために、努めて休暇を取るものとしてきたのがそれも奏功した。三月まではうつ傾向抑制のため適当に年休を取得する。それが、うつと付き合うための僕の自己管理の方法なのである。その分、四月以降からは年休取得率を漸減してゆく予定をしている。

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