もう人生の意義などは考えないことにする-2008年に悟ったこと-
2008年は幸せで充実した一年であった。家族の関係などに就いてはノイローゼになる程に思い患ったが円満に解決した。今後、家庭内で父・妹を基軸とした家庭争議は起こり得ない。精神科医の指示に従って、父とは一定期間を別居したのが奏功した。尤も、受診させる迄の過程が大変であった。
また、父の容体に就いて一定の診断名が賦与されたことに拠り、父は病気であるという事実認識を妻に印象づけることにも成功した。妻の気性は穏やかだが不正は看過できないタイプなので父との衝突は不可避であったが病気を原因とした言動であるという点で理解を得た。
妹が嫁いだ。青天の霹靂とも言ってもよい奇跡的で電撃的な出来事であった。妹の何が劣っているというわけではないが、兄としては結婚するタイプの女ではないと勝手に信じ込んでいた。その確信はおそらく家族全員が共有している認識なので皆が驚いた。
妹が嫁いだ結果、妻に長男の嫁としての意識の萌芽した。今後、老父母を能く助け円満な家庭として和を築くことが出来るものと確信した。つまり、各個が【つがい】として独立したのだ。父と母・妻と僕・妹と義弟。それが相互扶助の関係を緊密にもつことに拠り家族として一層の飛躍をみた。
父は疾病のため書斎を別に設けたため、これまで使用していた書斎を与えてくれたので、僕の生活の質も一層向上した。そのためのリフォームも行った。やはり本に囲まれている生活は快適なのだ。従来は、自在にコンポーネントステレオで音楽を聴くこともままならなかったが音楽との関わりも濃密になった。
仕事の面でも収穫が多い年であった。よき同僚・上司に恵まれただけに留まらず、単調になりがちな仕事のなかにも、それは、実は単調ではなく細部を仔細な注意力を恃むことに覚明し正にこの仕事こそ天職、又は、担当している職場を今後は中心になって守ってゆくべき使命を感じるに至った。毎朝、課業開始一時間前には職場に到着しているのも僕が出来る最大の危機管理なのだ。
上司の推薦により感謝状を頂戴した。推薦基準から外れていることを理解しているために、それをも慮って戴いた心根が心底嬉しかった。副賞は明治座での演歌歌手の公演観賞であったが、副賞の内容の如何に拘わらず、兎に角、嬉しかった。この人の負託に応答しないといけないなと痛切に感じた。また、組織は個人を守ってくれる存在であることにも覚明した。家庭の問題に就いても真摯に心配し相談に乗って戴いた。有能な上司とは、多分、おのずからと父性を具備しているものだと思えた。
精神生活も充実していた。たくさんの本を読んだ。使命としての読書を意識したのは青春時代以来の出来事である。「この本は読んでおかなくてはならない」という意識の発生は読書人なら判ると思うが嬉しい悲鳴なのである。それは、とりもなおさず、主体的に読書にかかわってゆく能動的な態度であるとも言える。
そんなになかで「生きることの意味」を考えることの不毛を悟った。あえて言うなら、生きる意味もなければ死ぬ意味もないと思っている。人生は苦しくもあり楽しくもある。宗教的な話は抜きにして、死なないから生きているのであり、生かされているから生きているのである。それは多分、まだ、必要だがら生かされている。なにかの役に立っているから生かされている。
では、夭折した人はどうなんだという疑問も発生してくるが、その時に与えられたその死が本人にとって一番よい時期での死であると思うより他はない。生が与えられるものであるように死も与えられるものなのだ。要は自然の摂理ということに尽きる。その摂理に就いて思い悩んだところで答などない。
幸福すぎる人は死を受容しにくいだろう。全ての局面に於いて満足している秦の始皇帝のような人は死を極度に恐れた。それはそれで哀れである。人生は適度に苦しいから苦抜としての死がある。人は適度に幸福で適度に不幸な方がよい。
永平寺の貫主の故宮崎奕保が自然について次のように述べている。「自然は立派である。決まった時に決まったはからいをして決まった時に去ってゆく」。人とて同じことなのである。左を以て年末年始の挨拶とする。
補遺 自己管理を徹底し乍らも医療の恩恵には浴していく点に就いては従来どおりである。


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