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2008年11月

2008年11月30日 (日)

毛沢東はどんな人で何をした人物なのか知りたかっただけなのである

   結果的には、毛沢東『に』学ぼうとは思わなかった。が、【毛沢東 竹内 実 著 岩波新書】を読了した。一体、毛沢東という人物は、どういう人で何を為した人なのか知りたかったのである。

 当初、【マオ -誰も知らなかった毛沢東- ユン・チアン&ジョン・ハリディ著 土屋京子訳 講談社】の上巻を読み進めていったのだが、上下巻で千ページを超える大著であり細部が能く書き込まれているため全体像がハッキリとせず一旦、退却して新書で大雑把な状況把握に努めることとした。余談たが、初学者は、「誰も知らなかった毛沢東」というようなタイトル本を読むべきではなく「誰もが知っている毛沢東」というような内容の本を渉猟するのが望ましいのだが毛沢東の本は割と少ないのである。

 考えてみると、マルクス・レーニン・スターリン・トロツキーを始めとして毛沢東・蒋介石・周恩来のことなど全く知らない自分に気づいた。幼少時代には、例えば、江青女史の裁判があったり、林彪の搭乗した飛行機が墜落したりと大人たちが大騒ぎしていたというような記憶が朧気乍らある。また、NHKの教育番組「中国語講座」では毛沢東が雑草を刈っている姿がタイトルバックとして使用されていたように思う。其処には好々爺とイメージがあったが、今回の読書を通じてとんでもない誤解であることに思い至った。

 何故、毛沢東やポル・ポトが知識人を圧迫・殺害したのかも理解できなかった。要するに、大卒者などはブルジョアの成分を含んでいるというのが毛沢東などの理屈であった。そしてまた、邪魔者の殺すという思弁は簡潔だが怖ろしいこと夥しいものがある。毛沢東は、ヒットラー以上に人民を虐殺したという事実にも唖然とした。七千万人もの国民を虐殺した者は二十世紀の指導者のなかでその殺戮数において毛沢東がトップなのだそうだ。

 上記の『竹内版の毛沢東』は初版が一九八六年。『ユン・チアン版 マオ』の方は初版が二〇〇五年。引用文献数等の体裁もマオの方が優れている。毛沢東に関する書籍が少ない状況下で両者を比較すると『マオ』の方が圧倒的に優れている。

 『竹内版』を読んでから、毛沢東の印象を形成すると認識を誤ることになると思えた。毛沢東に洗脳されたアメリカ人ジャーナリスト エドガー・スノーの所感を根本に敷いているのが竹内版の特徴である。一方、『マオ』も、始めから毛沢東を痴愚と決めつけている点で難があるが、検証は精緻を極めている点で確度は高いと思われた。また、ユン・チアンも近衛兵の体験があることから主観に傾斜しやすいきらいもあると思えたが、彼女の学殖等を勘案すると『マオ』に信憑性で軍配は挙がる。なお、彼女には作品として他に「ワイルド・スワン」がある。また、現時点では『マオ』の下巻は読了していない。

 『共産』という形の独裁または恐怖政治が存在したこと、その名称をそのまま今日に引き継いでいる『日本共産党』とは一体、如何なる神経をしているのか解せないと感じた。また、独裁者の思弁は天才的である一方でロゴスは明快なようだ。「邪魔者は消せ」に尽きるものなのだと思われた。中国という広大な地域を統一するのは、ユン・チアンのいうような痴愚魯鈍者では決して為し得ないのも事実であり、畢竟、毛沢東とは権謀術策と殺戮の天才であったのであろう。『マオ』の下巻も今後、読了を予定している。

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この僕が裁判所の書記官から弁護人と間違えられた

  地裁にゆき刑事裁判を傍聴してきた。微罪を裁く事案で瑣程の興味を喚起するに至らずに検察官や弁護人ともに形どおりに裁判を運営しているような印象を受けた。被告人にも反省の色はない。

 冒頭にも書いたとおり罪は微罪である。傍聴人は被告人の御家族だけという状況のなかで、僕はネクタイをきちっと締めスーツに身を固めて黒い皮のトートーバッグを携えて傍聴席に入ったところ裁判所の書記官から「弁護人のかたですか」と声をかけられた。

 ちなみに、弁護士の使用しているカバンは圧倒的にトートである場合が多い。勿論、大量の書類を持ち運ぶには適しているからだ。検察官のほうは昔ながらの遺風を遵守して風呂敷が通例となっている。

 僕は、トートの皮革製のカバンを使用している。また、特段、馬鹿そうな顔もしていないが怜悧という顔もしていない。傍聴席あたりにいたにもかかわらず弁護人に間違われたのは一つ珍事ではあった。開廷前に弁護人が被告人関係者と話をするために傍聴席にいることは珍しいことではない。

 別の裁判では、被告人の家族と間違われたことがある。閉廷後に弁護人から「被告人のご家族ですか」と声をかけられた。この時はラフな格好をしていた。人は見かけで判断するというのは、どうやら、嘘ではないらしい。

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2008年11月29日 (土)

NHKアナウンサーの考現学

  アナウンサーの人格に憧憬する人は老若を問わずに多いと思える。男性の立場からは女性に手弱女なる美しさを見出しそこに人間としての輝きと聡明、そして含羞を発見する時に爽快なる感情をもよおす。

 一般にNHKでアナウンサーという仕事に就いている人は確乎とした自分というものを保持し教養と品性に満ち溢れている。であるからこそ容姿も端麗なのだ。容姿ははじめから存在するものではなく後から自分で創るものである。度重なるゲーテの引用で恐縮だが、聡明と教養と品格。それが我をひきて昇らしむの所以である。

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刑事警察の捜査に関する基礎知識

 殺人事件などの場合には先ず被害者遺族を疑うのが鉄則である。これは正確な犯人逮捕のためにやむを得ない捜査上のテクニックなのである。光市母子殺害事件の遺族である本村洋さんですら最初は容疑者扱いをされた経緯をみるとその確からしさを感じるのである。

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牛は神聖な動物である-ヒンドゥー教徒の事例-

  牛はシバ神の乗物という理由から、ヒンドゥー教徒は一般に牛肉を食べる習慣をもたない。

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2008年11月28日 (金)

鯛のしゃぶしゃぶを食べようと思ったら猫に横取りされた男の悲劇

 だから泥棒猫と言われる所以なのである。飼い(猫)に手を咬まれたという表現がないように猫はお茶の間にあっても野生そのものなのである。しかし、そういうことを併呑してもなお猫は可愛くて仕方のないのである。

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安価なマスクにだって対ウイルス防御効果があると信じてみる

  インフルエンザウイルスは乾燥という環境を好むことから、口腔ないし鼻腔を保湿する効果があるマスクは安価なものであっても、しないよりした方がよいと思っているのである。

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歯科医学は商売なのであろうか

  歯科を受診した。治療後に先生から「ありがとうございました」と頭を下げられた。歯科医学は明確な学問体系に裏付けられている営為であることから散髪屋などとは異なることを強く自覚したほうがよい。医は必ずしも商売ではないことを覚明したほうがよい。それにしても、歯科医師会に入っている歯科医が少ないことには驚いた。

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2008年11月27日 (木)

山田風太郎の文学的な死生観における隔靴掻痒的言説

靴ヲ隔テテ痒キヲ掻ク。生ヲ隔テテ死ヲ描ク(山田風太郎)

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インフルエンザ感染しないよう細大漏らさず注意している

 破傷風ワクチンの追加免疫の接種をしてきたため、この後、三週間はインフルエンザのワクチン接種が禁忌となることから細胞膜抵抗性を賦与するためにビタミンCを摂取することや、お茶の多飲を心懸けているのである。今は、インフルエンザに罹患して寝込んでいる場合ではない。マスクも必須アイテムり一つである。また、足底部に黄疸様の色素が沈着するほどまでにみかんを食べ尽くしている。

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光市母子殺害事件の遺族である本村洋さんを支えるために警察は配慮をした

  所轄の山口県警は兵庫県警をつうじて酒鬼薔薇事件の被害者遺族・土師守氏に電話をかけて本村洋をさんを支え励ますように依頼したのである。【なぜ、きみは絶望と闘えたのか 門田隆将著】に典拠。

 ※ 当時、希死念慮の強かった本村さんに自死されては、捜査の観点からも県警は困る事情があったものと想像できるが、山口県警の計らいには感動を覚える。

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2008年11月26日 (水)

ショパンは死後のことも怖れた-雨音はショパンの調べ-

彼は死の床で次のように述べた。「土のなかに埋められては窒息してしまう。生きたまま葬られないように体を出しっぱなしにしておいてください」。享年、三十九歳。レィニデイズ・ネバー・セイ・グッバイ・・・。

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仕事における創造性の炸裂

  それは沈潜と集中力から生まれる。普段の鍛錬で力を溜め、ここぞという踏ん張り時に一気呵成に畳みかける。そのときに時間の質が変わり一瞬の価値が見えてくる[座右のニーチェ 齋藤 孝著]に典拠。

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2008年11月25日 (火)

「倫理の前に現実がある」というロゴスは胡散臭いのである

  中国で暗躍する臓器売買のブローカーAはそのように言ってみせた。【参考図書 中国臓器市場 城山英巳著】

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水晶婚式と磁器婚式の中間地点に到達した

  透明で曇りのない水晶のような信頼を示す水晶婚式をとうに終えて、年代と共に値打ちが増す磁器のような夫婦とされる磁気婚式まで後二年という時期に突入した。十八回目の 結婚記念日であることなどすっかり忘れていたが、妻に多謝。何かプレゼントをしよう。想い出してよかった。というか忘れてはいけない日なのである。

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日常における希薄性からの視点としての屠畜と屠殺の民族学的ないし書誌学的な差異

  バリ島の人たちは、家畜を殺すというような表現は使用しない。【殺す】という当為は悪であることから屠畜に馴染む言葉ではなく【切る】という表現を恣意的に用いるのが慣例化している。

 動物は人間が食べるためや神に捧げるために【潰す】のだから良い当為であるという認識が一般的なのである。また、その逆説的な言説から、「動物や植物をお供えのために殺すということは、殺した人間に責任がある」。その概念を止揚することで家畜を殺すことの当為に対して妥当性を賦与しているものと思われた。【世界屠畜紀行 内澤旬子著】を参考。

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2008年11月24日 (月)

勤労感謝の日は重層的である

  標記の祝日は勤労者にあたえられた所与の権利として独占してはいけない。元気に働けること・働かしてもらっているという状況に対して感謝する日でもある。負託や信任がなければ到底、第一線に立つことなど不可能な話である。その点において「任されている」という意識の発揚感が動因されるのである。

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眩暈が遷延化していたために検査を受けてきた-眩暈体質にも困ったものだ-

 眩暈が三週間治まらないため脳外科を受診してMRI検査を受けた。「その状態が三週に渉って継続した場合」には専門医の診察をあおぐことにしている。過、金曜日は発熱を伴いながらも病態としては眩暈が中心となる様態を形成し歩行が困難な状態であったため休暇を頂戴した。未だかつて経験したことのない激烈な眩暈であった。とても風邪の延長線上にある眩暈とも思えなかった。

 おそらくは季節の変化に伴う自律神経の不安定な状態を原因とする状態であると判断されたがそれにしては症状が例年にもまして一向に消褪の気配をみせない。一応、脳神経外科的にはフリーであったので近々にも休日を利用して内科・眼科等を受診してみようと思っている。

 曾て、六ヶ月間の長きに渉って眩暈に悩まされたこともあり、この眩暈を惹起する体質は母譲りのものであるように思えた。本日から勤態に入ることとする。そういえば娑婆では勤労感謝の日の振替休日。こういう日は刑務所で懲役刑を科されている受刑者も課業はないのだろうなと呟いてみる。

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2008年11月20日 (木)

工場労働者の営為は孤独に充ちているのであろうか

  違うと明確に断言できる。横で立ち働いている彼も孤独に充ちているのであるため孤独の集合体は必ずしも孤独を助長させ連鎖を発生させない。おなじ疲労という観念の共有化を図ることに依って自己奮起をうながすことが充分に可能となるのである。

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他人と自己の決定的な差異などを山田風太郎の言葉にみることができる

  自分と他人との差は一歩だ。しかし人は永久に他人になることはできない。自分と死者との差は無限だ。しかし人は今の今死者になることができる。[山田風太郎]

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2008年11月19日 (水)

たま駅長などの愚にもつかない企画は早々に止められよ

猫にとっては虐待に近いものがある。

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がん対策基本法の策定の背景にはがん難民といわれる人たちの存在がある

  がん難民と呼ばれる一群の人たちがいる。「がん難民」とは、適切な治療を受けられず漂流する患者のことで全国に68万人にのぼり、その見解は医師と患者間に温度差がある。初発のがんではがん難民になることは基本的にありえない。

 問題は、再発や転移を繰り返した場合で、医学的に打つ手がなく無くなったときに転院を奨められることとなる。それは、病院や医師が冷淡なのではなく日本の医療制度の問題なのである。医師が、「これ以上、治療しても治らない」と判断する場合、継続して入院することはできない。「治らない患者」を長期入院させておくだけの病床数が確保できない所以でもあるし、日本では包括的医療制度を採用していることから、大枠で標準治療が決定されているためである。これを逸脱すると病院が赤字になるシステムになっている。

 また、病院の実力ランキングが人口に膾炙されるなか治るがんだけを扱う病院もふえてきた背景に加え、これとは別にドクターショッピングをする患者が複数のセカンドオピニオンにゆく結果、情報が錯綜し収拾がつかないという事態が発生している。こうした背景から、「医者は冷たい。治せると思うあいだは一生懸命治療するが、治らないとわかると突き放す」といわれる所以がある。【がん哲学外来の話 樋野興夫著】に典拠。

 ☆ 僕は医師でないので医学には不案内です。それゆえに、医学の周縁知識をうることは大切であるとの思いから上記のように書物を通じて得た知識を一つのメモとして上程することにしています。それこそが当ブログの設立趣意の一つでもあります。

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2008年11月18日 (火)

仏教にみる無常観と無常感の差異

 『仏教徒の俗曲としての御詠歌は、本来、死者を追悼する歌であるから、愁嘆的情緒を包括し、また、仏教そのものは諦観的な世界に潜むペシミズム的な情感を背景に持っている。この御詠歌の持つ詠嘆調は、濃淡の差こそあれ、日本の伝統歌曲のほとんどに感性的影響を与えてきたものであり、また、それが、今日の日本民衆歌曲の特徴の一つになっているとさえ思う』と音楽評論家の園部三郎氏が述べたことに対して山折哲雄氏は深い共感を示し乍ら、インドや中国の仏教と日本の仏教の差異を「ペシミズム的情感の表出」に見出している点に注視しいている。また、『無常観』と『無常感』の差異にも論及している。

 その論拠として陽音階のインド音楽に対して陰音階の日本音楽を対立軸としながら仮説を展開してみせて無常観における陰と陽を想定して日本仏教は陰音階であると断定している。なるほど、釈迦のいう『無常感』は物事の仕組みを客観的かつ冷静にみている点が特質であるのに対して、日本でいう無常は、平家物語の冒頭に出てくる「祇園精舎の鐘の声・・・」にも代表される無常であり、それは最早、『無常観』の無常ではなく無常の異常発酵した形態を持ち更に述べるならばセンチメンタルないし陰々滅々たる【無常感】であると喝破している点は刮目すべき知見であると思えた。【参考文献 無常の風に吹かれて 山折哲雄】

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遷延化している頭位性の眩暈

季節の変わり目に依るものなのであろうか。自覚症状的には眼疾に由来するもののような気がする。

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カフカに感じる温厚ともいえる不条理感

  【となりのカフカ 池内 紀 光文社新書】を読了した。池内氏の書く文章は踊っているので読みやすいというのがファーストインプレッションである。加えてドイツ文学者らしくロゴスの構築が極めて精緻に徹底しており整合性があり読みやすい。

 尤も、整合性がない点においてカフカの作品が異彩を放つともいえるのであってその故を以て合理的にカフカの作品に論説をくわえるのは至難ともいえるのである。

 カフカの作品には素朴で滑稽な不条理を感じる。一方、カミュのほうは逸脱転倒した不条理性を感じその不条理は慟哭を催促しており自己の存在感を揺るがしかねない激甚の程度において劃然と区別された。カミュにはカフカ以上に高校時代において多大な影響を受けたことが懐かしく想い出される。

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2008年11月17日 (月)

メメント・モリという本が復刻されたのである

  藤原新也氏が二十数年前に上梓し東洋的な死を直截化した詩ないし写真集として極めて重大果敢にその現象を鋭敏に問いかけた本が復刻したのである。元本を所持しているので懐かしいこと夥しい。これも時代の要請なのであろう。なお、メメント・モリとは「死を想え」という意味である。

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体液の濃淡から発生する呪縛-遺産相続権の徹底的な不合理性-

 遺言によって発生する遺産相続制度に疑問を感じている。アルツハイマーと診断されたことから父を庇護する者として自分の立場に覚明し妹も結婚することになり当家にも安穏が訪れたかのようにみえた。子供の立場から父母が書き残す遺言について云々する資格を僕は持たないしそうした話には関知したくなかった。

 が、妻を重大に守ってゆくのが夫たる者の使命であることから遺産分与の仕組みについて調べてみたところ妻の相続権がないことに唖然仰天した。法定相続をおこなった場合に配偶者や子供に分与されることは理解できる。

 しかし、父からみて子の妻には相続権が発生しないのは到底、納得できる話ではない。妻を飛び越えて孫には相続権があるというのは一体どういう話なのか。非常識な法律であると当識せざるをえない。あなたの息子を支え続けたのは妻であり孫(当家には子供がいないために父からみた孫も存在しない)を設けられたのは妻の体液を経由しており人は生物学的には単為生殖の形はとらない。

 なるほど、昨今の産科の事情を俯瞰するにいわゆる借り腹等の医学的な叡智の結果、必要な法整備が遅滞している現状は医学倫理を混乱させている。脳死・臓器移植・生殖医療・再生医療等々がその俎上において必要な議論が尽くされていないのが現状である。

 それにしても、そうした高度先端医学の境地が開闢される以前の段階で相続を規定する法律は出来上がっていたはずであり生殖医療等をまったく念慮せずに法制化されたのが現行の遺産相続の制度である。妻と夫は、つがいであり伴奏者であり人生を共同して歩いてゆく関係にある。その妻に相続権がないというのは如何にも納得できない。

 個人的事情を話せば莫大な資金を用意して家を建てた。一緒にローンを完済するべく頑張って来た。しかし、僕が死んだら一緒に頑張ってきた妻の分与はゼロとはこれ如何に・・・。ともあれ、そういう社会の仕組みを僕は知らな過ぎた。

 現在の遺産分与に係わる取り決めは妻と呼ばれる人の依って立つ立命に影響し排斥を伴う差別的な法律であると断じざるをえない。女性国会議員に大いに検討していただきたい問題である。正しく生きてきた妻には防御の枷をひく必要はないと思料できた。

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2008年11月16日 (日)

死生観という言葉は定着しているが生死観という言葉は存在しない

 人生の本態は死を一義として構成されているようである。どうやら、生とは死の観想から逆照射することによって輝きを増し無常や儚さを湛えながらも、その一瞬において光芒を放つ性格を帯び生死(しょうじ)の拮抗のなかでおそらく久遠なる死を凌駕する僅かの期間に発揚する瞬間こそが生なのであろう。

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JR東日本の車掌さんも吃音する

  彼は「お」の言葉の発語に難があり吃音する。「次はオ・オ・オ・オ・オ・小山駅です」と発語する。しかも必ず「オ」の箇所で躓き吃音する。車掌という仕事柄お気の毒なことではあるが寧ろ微笑ましく感じた。勿論、大概の乗務において、その程度は些少なる問題であり、それが許容範囲内であるから乗務もしているのであろう。

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昆虫と詩心と少年時代

 【ファーブル巡礼 津田正夫著 新潮選書】を読了した。ファーブル昆虫記を精読していないために「虫の詩人」と呼ばれている所以など知るべくもなかったがファーブルに美しい魂を感じた。ファーブルを敬慕の対象とする場合、昆虫に対する学殖から追慕する場合と虫を無視して詩人ファーブルそのものを興味の対象とする二通りがあるらしい。

 僕は少年ではないが虫が好きである。ノコギリクワガタやカブトムシをみると今でもワクワクしてくる。そこには少年時代への回帰願望の衝動が潜在しているのかもしれない。 夏になると父に昆虫採集に連れて行ってもらった記憶がある。樹にとまっている昆虫を発見した時の心のときめきは耀躍感とでも表現したらよいであろうか。 

 昆虫は少年時代を回想させてその純粋性において詩心を喚起して止まない。井上陽水の「少年時代」という詩があるが、そのなかで陽水が虫取りに就いて触れているか否かについて失念したが夏をキーワードとした場合に少年と昆虫は不即不離の関係にある。

 また、昆虫の観察は科学的好奇心を喚起するために自然科学する心を涵養するにたる身近な生物の一つにもなりうる。ドクトルマンボウ昆虫記をひくまでもなく医師には虫を愛好する者が極めて多い。手塚治虫・北杜夫・養老孟司がその筆頭であろう。ファーブルはよい顔をしている。僕も惚れた。ファーブル昆虫記はその大部において詩歌的な性格も具備しているのである。全十巻の通読は無理かもしれないが岩波文庫版で揃えて詩を読むつもりで言葉の一つ一つを熟読玩味しながら楽しもうとも考えているのだ。

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2008年11月15日 (土)

兵器・軍事愛好家としての石破 茂旧防衛大臣

  そういう話が人口に膾炙している。過日、田宮模型を扱った雑誌を読んでいたところ石破 茂氏が戦車のプラモデルを嬉しそうに持ちながらインタビューに応えているの姿をみて笑った。プラモデルの組み立てが趣味の由。

 その記事を立ち読みしていたら何だか頭が痛くなってきたのも一方で事実であるが、武器の美とは畢竟、冷徹さ・合理性という削ぎ落とされた機能的な部分に宿りそれに魅了される大人も少なくないのは各種防衛イベントの参加人数を見ても一目瞭然である。青森県三沢基地の航空祭など全国から人が集まる。茨城県の百里基地、埼玉県の入間基地にしても然り。

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ラジオ深夜便のオープニングテーマ曲は静謐な表現である

  美しく静かな音色である。NHKのスタジオパークに行けばCDも入手可能だが行くのが面倒である。

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2008年11月14日 (金)

美しい箴言であると感じた

  「静かに行く者は健やかに行く 健やかに行く者は遠くまで行く」

イタリアの経済学者パレードも愛した言葉であり城山三郎も愛した言葉の一つであるという。

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運がよいとか悪いとか   

  人生においてそうした因子は確かにあるとあなたをみててそう思う。僕は無縁坂を登るつもりはないが、母をみているとそう思う。今、妹が嫁ぐ日を控え乍らアルツハイマーを抱えた父を介護している母に満腔の情愛を傾注しなければならない。ささやかな僕の母の人生-さだまさし-

 秋桜にはやや遅いが母と妹の時間の場を「こんな小春日和の穏やかな日」には二人を優しく見守りたいのである。

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2008年11月13日 (木)

京都市東山知恩院前上ルのブランド

 関東でも一澤帆布のカバンを持って歩いている人は多い。僕が愛して止まないのは一澤帆布でなく一澤信三郎帆布のほうである。最近、京都を訪問していないために事情に疎く信三郎帆布のカバンに縫いつけられているロゴは文字どおり「一澤信三郎帆布」と信じ込んでいた。

 ところが、「信三郎」とだけ縫い込んであることを知った。東京のような稠密な街にいると信三郎カバンを提げている人を見かけることが少なくない。京都を愛好する者として嬉しい限りである。来年あたりは京都へ行こうと思う。そして、信三郎のロゴの入ったカバンを買おう。

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小説家になるにはどうしたらよいのだろうか

  過日、人生相談を読んでいたら標記の如き質問が掲載されていたので微笑ましく思った。そんな方法はないし、そういう疑問を持ち上げてくること自体がナンセンスなのである。 
 僕の読書好きは周囲でも有名らしく、「中也さんはこういう仕事よりも小説家のほうが向いている」といわれることが多々ある。

 仮想現実の世界における人の思惟等々にあまり興味がないし、プロットを組み立ててゆく能力もない。興味があるのは現実と知の二つである。本好き=小説家という等式はあまりに論理の飛躍がある。

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2008年11月12日 (水)

液晶テレビかプラズマテレビか悩みに悩んでもみても仕方がない

 このあいだの日曜日に山田電機でシャープの亀山モデルを一台、寝室兼書斎用に買いました。基本的には寝室なのでフルハイビジョンには対応していない36型のテレビです。

 更に、自動お掃除機能付きのエアコンを一台を購入してなかなかの散財ではありました。兎にも角にも地デジをみるのは結構に大変な手続きが要るようでゲンナリしてきました。はぁ~ 。リビングには42型を近々にも置く予定です。その場合は当然、フルハイビジョンのつもりでいます。ビエラは止めました。はい。

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仕事なのか作業なのかを厳しく峻別する

  その労働は作業であってはならず仕事であると規定しなくてはならない。

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防衛医科大学校から医学という学問体系の崩壊が始まる

  防衛医大附属病院では産婦人科を廃止とする案が浮上しているという話を聴いて仰天した。医学とはそのカテゴリーにおいて構成要素の何が欠けても完結しえない学問の系である。基礎・臨床・応用系がワン・セットになり完結しうる正格を保持しており医学の精華ともいえる臨床系の診療科の一つである産婦人科を廃止にするなどとは到底考えられない発想であることに加え医学の体系を根幹から揺るがす大事件である。基礎系を無視した臨床医学が存在しないように産科・婦人科の診療科を排斥した臨床医学も存在しえない。

 大学病院に於いて特定の診療科がないということは医学教育がその場で停止することを意味する。防衛医大生はどこで産科・婦人科学の勉強ないし実習をするのか。大学医学部附属病院の一義的機能は医師の育成にある。勿論、診療・研究も大きな眼目ではあるが一義的には医師の育成である。特定の診療科を廃することは医学教育の場にはありえない話である。

 また、防衛医大の本音は軍陣医学に力点を置きたいのであろうが、陸軍軍医学校じゃあるまいし発想の貧困性を払拭しえない。事務系の公務員に任せきると国は亡びへと至る格好の例示である。それにしても今、防衛医大はPKO・PKF等に伴う自衛隊の海外派遣等で熱帯医学に対しても重大な関心があるものと思われる。また、任地に赴いた際、防衛医官が現地住民の診察サービスをするのは当然の任務である。「いえ、自分は日本の防衛医科大学校に於いて産科学の実地はしてきませんでした」とでも現地住民に説明するのであろうか。

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2008年11月11日 (火)

裁判所は客体的な人格性を保持するのである

  曾て「裁判所は悲しくなります」と述べた裁判官がいました。勿論、裁判官の主語は、「本官」であるとか況や「私」ではありません。あくまでも主語は裁判所なのです。

 例えば、「裁判所はあなたの刑に執行猶予をつけて街に出すことにしました」という使い方をしますが、「裁判所は悲しくなります」という感情をあらわにした使い方は一般には用いません。

 検察官が提出したコピーの細かい文字に目をやりながら「う~ん。裁判所は最近、目が悪いので・・・」と述べてしまった裁判官もいたそうです。【裁判官人情お言葉集 長嶺超輝 幻冬舎新書】に典拠。

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家族関係の病理学

 崩壊していた家族関係が回復した。家族関係は修復機転をとおして回復してゆくものなのである。状況が如何に悪くともそれは一過的なものであると考えることが回復にとって効果的にはたらくようである。

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ロマンテックな処刑器具としての鉄の処女伝説は幻想であったのだろうか

  「スペインのロバ」・「バンベルグのボック」・「懺悔の椅子」・「処女の膝」・「拷問梨」・「スペインのブーツ」等の拷問器具も怖ろしいものであったが、「鉄の処女」には様々な言い伝えがあり聖母マリアをイメージして意匠がしてあるという怖ろしい処刑用具の一つである。

 それは鉄でできておりマリア様を模してかたどった空間に罪人を入れた後に蓋を閉めると蓋に付帯した棘が両目と心臓を突き刺す構造になっている。が、実際には伝説のみが先行し使用実態はなかったのではないと浜本隆志は著書「拷問と処刑の西洋史」のなかで説く。なお、日本では明治大学の博物館にも収蔵されており拝観が可能である由

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体の弱い体質

 旋回性のメマイではなく頭位性のメマイを発症す。気持ち悪い。

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2008年11月10日 (月)

三連休のかたもいらっしゃると思いますが

  という言葉をNHKのアナウンサーは頻繁に連呼します。そしてゴールデンウイークを大型連休と呼び下します。それは兎も角、きょうは文化の日の代休でオフです。当社も経済的に厳しい状況にあって何が何でも手当を以て弁済せよという態度は会社に貢献する賢明な姿勢であるとはいえません。

 俯瞰するに、組合の横暴や強勢で潰れた会社は幾千・幾万にものぼります。社員は会社の経営体力の立て直しを図るために協力しないとなりません。本日、精々に文化的なことをしようと目論んでいましたが部屋の整理整頓に充当して終わってしまいました。

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懐石料理に舌鼓をうつほど舌の感度はよくないのが僕の欠点である

  昨土曜日に、親族の固めの杯(ヤクザ一家ではありませんよ-笑)を交わすために埼玉では老舗であるという二木屋さんで個室を用意してもらい会食をしてきた。(義)弟ができることとなった。料理は豪華だったが味を堪能している余裕はなかったほどに話が弾み楽しい一時を過ごすことができた。多謝。

(二木屋URL)

http://www.nikiya.co.jp/ryouri.html

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2008年11月 9日 (日)

それはまさに覚明の境地であった

仕事の覚悟について天命を知る。一皮むけてこの仕事に関して天命であると覚明(かくみょう)するに至ったのである。

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上司に恵まれるということも自己実現の一つである

光市母子殺害事件で妻と子供を失った本村 洋さんが一時の気の迷いから勤務先の新日鐵を退社しようと思い立ち辞表を書いた時に上司は次のように述べたという。

 『君はこの職場にいる限り私の部下だ。そのあいだ、私は君を守ることができる。裁判はいつかは終わる。一生かかるわけじゃない。その先をどうやって生きていくんだ。君が辞めた瞬間から私は君を守れなくなる。新日鐵という会社には君を置いておくだけのキャパシティはある。勤務地も色々ある。亡くなった奥さんも、ご両親も、君が仕事を続けながら裁判を見守ってゆくことを望んでおられるじゃないのか』

また、次のようにも述べた。

 『この職場で働くのが嫌なら辞めてもよい。君は特別な体験をした。社会に対して訴えたいこともあるだろう。でも、君は社会人として発言していってくれ。労働も納税もしない人間が社会に訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。君は社会人になりなさい』
【なぜ君は絶望と闘えたのか-本村洋の3300日 門田隆将著】に典拠。

 ☆ 今、僕も名実ともに上記に記したような複数の上司に恵まれている。

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肥満をかこつ人の朗報となりうる本に巡り会えた

  【いつまでもデブだと思うなよ 岡田斗司夫著 新潮新書】を読了した。著者が指摘するレコーディングダイエット方法は理知の観点から極めて有効な痩身対策であると思えた。

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武蔵野線を貨物列車が驀進する

  武蔵野線は風や雨には弱く首都圏でも脆弱な路線であるといえる。しかも線区のほとんどが高架である。そこを大部の重量をほこる電機機関車が貨物列車を牽引して驀進してゆく。その様子を眺めるにつけ、この線区に貨物列車は馴染まないなと感じるのである。

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電車のなかにもかかわらず涕泣した本

【なぜ君は絶望と闘えたのか - 本村洋の3300日- 門田隆将】を読了した。僕は犯罪被害者モノは極力読まないことにしている。遺族が書いた本はむごすぎて読むにたえないのが一つ。ジャーナリストが書いたモノはいかにも他人の不幸でメシを食っているという感覚から僕自身が放下されていないことの二つの理由に依る。

 しかし、この本には心を震撼させられた。また一つ、心の書架に重要な本として並べておく必要を感じた。いうまでもなくこの本は、光市母子殺害事件を扱いながらその夫であり父であった本村 洋さんの心の振幅を基軸として話は展開してゆく。その自己抑制力・犯人を死刑に導くための意志の強靱さもさること乍ら人生の何たるかをも学ばせてもらった貴重な一冊といえる。

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2008年11月 8日 (土)

移民の歴史のことが知りたかった

  【故国を忘れず新天地を拓く-移民から見る現代日本-天沼 香著 新潮選書】を読了した。ハワイに新婚旅行に行って以来、移民の存在が気になっていた。なぜ、日系人と呼ばれる人たちが異国にいるのか疑問であった。そんな疑問に応えてくれるに充分な内容をもつ一冊であった。結論から言えば、明治期における日本の人口爆発対策の一環として、また、国策として国土拡大を眼目とした植民地政策の方便に依るものであると理解した。

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筑紫哲也氏の逝去に想う

  今は廃刊になってしまいましたが、週刊誌「朝日ジャーナル」の編集長時代に筑紫さんのことを知りました。新人類という言葉が耀躍して、浅田 彰が論陣を張り、一方で中沢新一がおり、ポスト構造主義、記号論、スキゾキッズ・パラノイア・構造と力などがキーワードとして時代が構成されていた頃の話です。一世を劃した筑紫哲也さんですが亡くなったんですね。

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2008年11月 7日 (金)

企業に勤務する獣医師の辛きに耐えて

 本日、ラボで立ち働いていたところ大腸菌(群)が飛び散って眼球に入った。抗生物質入りの点眼薬を買わないとならないな。というか当社でも販売しているのであった。

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動物が食肉に変化する過程をルポした本としては興味が尽きない一冊であった

 【世界屠畜紀行 内澤旬子著 解放出版社】を遂に読了した。途中まで読んで放置しておいた本である。というのも著者のノリというか独特の文体に馴染めなかった所以による。大阪言葉を駆使しての体育会系のノリには正直なところ辟易した。が、獣医学を修め獣医師を生業としながらも、自分にとっては食肉処理場は縁の薄い職場であり実態は不明のままであった。

 屠畜場の現場を初めてみたのは獣医学部の四年生の時で千葉県にある大規模な屠畜場である。初めて牛の屠殺をみた時の激甚ともいえるショックは今でも明確に思い返すことができる。屠殺という行為の重要性は認識しつつも、将来は死体相手の仕事よりも家畜の命を助ける農業共済組合連合会家畜診療所に職を求めることとした。以来、複数回、屠畜場には運歩しているが内澤さんのように屠殺場に祝祭的な雰囲気を感じとることは一度とてなかった。

 しかし、肉を食べる者として文字どおり世界の屠畜の民族学ないし民俗学的な視点に立脚した視点には唸る点が多々あったように思う。知人で食肉衛生の検査をしている者がいるのでこの本の当否について訊いてみたところ、「感じ方の差異はあるが日本の屠畜事情に関する記述の部分は概ね正しい」というものであった。であるとすれば、世界の屠畜慣行の部分に就いてもおそらく正しく描写されているものと推察できた。

 屠畜の発するテーマは限りなく重い。それを一蹴し笑い飛ばす道化性を意図的に企図しながら屠畜という行為を努めて明るいタッチが描出しようとした著者の努力は好意的に汲み取らなくてはならない。

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猖獗をきわめる風邪の蔓延

  まだ十一月の初旬である。この風邪の蔓延している事態をどのように理解したらよいのだろうか。

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夫婦別室暮らしの当否

 当家では妻とのあいだに横たわる問題は一切ありません。昨日、機を得て夫婦別室での生活をはじめたところ意外にもこれが快適。配偶者であっても人は己と流れている時間の速度と質には差があります。主寝室で二人で寝るのも結構。が、僕たち夫婦は別の部屋で寝るという選択をしました。扉で二つの部屋が繋がっているため、これを解放してしておけば会話などのコミュニケーションの確保にはまったく不自由はありません。

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医者の散文詩-医学的詩境またはグルメの問題に就いて-

医師の脳の延長線上に手指がある
手指の先には医療器具を保持する
放射線科医は放射線を出すことができる
ウルトラマンのスペシウム光線のようだな
脳外科医の手指はγナイフにもなる。
γナイフできった太刀魚の刺身は苦いのだろうか
メスでさばいたタコの刺身もおいそさうではない
いっそ、電気メスで焼ききってしまおう
そして膿盆に盛りつけてオワリ

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2008年11月 6日 (木)

美味しいもつ料理屋の見分け方

 モツ煮の味付けがヘタな店は不味い。牛のモツ煮の場合にはその巧拙が直ちに露見する。牛モツ煮を提供するモツ煮料理屋はリスギーである。無難に豚モツ煮で勝負をしかけたほうがよい。誰が煮ても平均的な味付けが可能な所以による。

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モツ焼き料理だけを専門に扱う居酒屋の蠱惑性-匂いが刺激を喚起する-

 モツ焼き屋が自宅の近くに新規オープンした。仕事の帰りに立ち寄りそうなので警戒している。僕は焼鳥屋とか焼豚屋には目がないのだ。その誘惑に克服できるか不安でもある。モツ焼きのようなものを食べ続ける限りメタボから絶対に脱却できない。

 センマイ刺し(牛)やガツ刺し(豚)。果てはレバ刺し(牛)のメニューが大きな張出提灯に掲げてある。これらの刺身類は大好物なのであるが加熱(ガツ刺しは加熱食品)していない肉類は食べないことにしている。肉類は刺身で食べるものではないのは所与の前提である。一部、馬刺しについてはその地域的な食習慣から長野・熊本などでは盛んに食べられているときく。

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2008年11月 5日 (水)

初氷が張り今年の秋も逝ったか

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自分を愛することは難しい-ナルシシズムよりも以遠で迂遠なもの-

  おのれを愛することを学びおぼえよという命令は、きょう、あすに達成できることではない。むしろそれは、あらゆる技術のうちで、もっとも微妙な、もっともコツと忍耐を必要とする最終的な技術である。〈ツァラトゥストラの言葉〉

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2008年11月 4日 (火)

馬鹿馬鹿しい人生より馬鹿馬鹿しい一時が嬉しい

  【時には娼婦のように】という歌謡曲の一節である。その退嬰的的な響きに暫し哲学的で知的な詩学を感じた。現実的には実現しえないうえに困難を伴う価値体系であり馬鹿馬鹿しい人生なら馬鹿馬鹿しく生きてゆくのが賢明であるとも言えるが、僕は人生を馬鹿馬鹿しいとは観ていない。少なくとも価値のあるものだと観ている。

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2008年11月 3日 (月)

熱発した原因は不明である

  十月三十一日(金曜日)は普段どおり起床してから予め書き溜めておいた記事を午前四時三〇分頃にアップ。通勤途上、甚急性に高熱を屯発したためにやむを得なく年休を取得。職場には一応、顔を出し「仕事が廻る」と判断したうえで帰途に就いた。昨今、稼働可能な職員が少ないうえに締め切り間近の仕事を数本抱えたなかでの突発の休暇申請は毎回のこと乍ら申しわけなく思う。

 帰途の電車内では重大な倦怠感と悪寒・嘔吐・下痢に呵まれ車内トイレを占拠。医院を受診する余裕もないまま家に戻り臥褥。薄れた意識のなかでインフルエンザにしては感染時期が早いなと思う。が、ありえない話ではない。

 午後、やっとの思いで床から起き出して体温を測定。38度4分。厳しい状況のなかで内科受診。診断名は風邪。ピーエイ剤・ムコダイン・フロモッコス・ブルフェンを投薬される。食欲は廃絶しているためトロロ昆布うどんを二口ほど啜り薬を呑み臥褥。

 翌十一月一日も終日、臥褥。十一月二日から回復の機転に入り本日に至りようやく回復。鼻・喉などを中心とした領域には炎症は認めないにもかかわらず風邪で38度4分の熱を屯発したのは僕の体躯に於いて曾て存在しなかった所為なのであった。

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