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2008年10月28日 (火)

人間関係の基本形の一つとして男女は「つがい」であるという認識-生物学的視座からの眺望-

 子は親に育てられた後、子別れの儀式を済ませて親の元を去り同時に兄弟とも訣別する。その後、異性を伴侶として見つけ子を為して死んでゆく。多くの場合、生物はこうした生活環のなかにいる。親の元から去り、子は親の元から去ってゆく。特に人間の場合、生活環のなかで伴侶と過ごす時間が途轍もなく長い。

 子がなく家庭崩壊を招来している家庭(当家が該当する)では、特に、この「つがい」の考え方を導入すると生きるのが楽になりそうだ。人間が青年期に為す多くの社会的行動、それには勿論学歴等も含まれるがそういう社会的因子は偏に異性の吸引力の確保を前提としている。よき伴侶に恵まれるために自分のステータスをあげるという考え方は生物学の原則とも背理しない。

 花なら美しく香り高い匂いを放ち目立つ位置に咲くこと。動物なら妻や子にエサの確保を充分に為すこと、ヒトも同じことだ。東大を出たり、弁護士になってお金をたくさん稼ぐというのも生物学的な目標の一つの完遂ということになる。それ以外のことは生物学的には二次的な事項にしかすぎない。

 人生で一番大切なのは生物学的にはよき伴侶の存在なのである。そこから、「つがい」という思想が生まれてくる。ヒトは伴侶をつがいとして認識し永く大切に時間を共有してゆかなくてはならない。親を乗り越えてゆくことが生物学的理性の有り様の一つであるとも言えるのである。

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