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2008年8月23日 (土)

人の肉を食べるということ-カニバリズム-

   【地獄の日本兵-ニューギニア戦線の真相 飯田 進著 新潮新書】を読了した。飢餓で苦吟して死亡した将兵たちの怨嗟の声が収載されていた。畢竟、戦争とは個人的な体験史なのであろう。

心身の痛みを伴う個人的な体験の集積がヒューマニズムの招来を期待し徐々に具現化しつつあるものと思える。 領土拡大等の問題は竹島の問題をみるまでもなく人間にとって、それこそ生物学的な本能である。思考の過程を一つ一つ検証してゆくと、戦争そのものが直ちに悪というわけではなく「個人的体験としての痛み」こそがおそらく「戦争は悪である」という論拠の根源にあるのではないだろうか。勿論、戦争は直ちに死に短絡し社会や国家の崩壊を招く。それも「個人的体験としての痛み」に含有される。そして、個人的体験は「心身の痛みを伴う集団的体験」として一般化されるものと考えられた。

  「きけ わだつみの声」という戦没学生の遺稿集のなかで特攻隊員として散華した学生の一人は高踏的な立場から自分の死を「無学者には戦争の本質は分からない」と綴った。他方、「農民戦没兵士の声」では農民が田畑を想う気持ちを惻々と綴った。「ドイツ戦没学生の手記」も「きけわだつみの声」と同系列の本である。三つの本は、いずれも個人的な戦争体験を綴ったものなので、どれが優れているという比較には馴染まない。三者とも戦争に対しての忌避感が表出している。

 ようするに立場・国を超えて個人的には戦争が嫌いなのだ。しかし、戦争という形をとらなくても、闘争本能、テリトリー確保の問題が駆逐されたとは現状では思えない。今後、環境難民等の増加に伴い寧ろ、個人的なサバイバルに向けた闘争が加速する虞さえ現実味を帯びている。  大岡昇平の「野火」でも人肉嗜食は大きなテーマであった。現実的な問題としても軍部は、わざわざ人肉嗜食禁止令を出している。つまり、この問題は将兵のなかで悪弊として人肉嗜食が常態化していたことを示す。が、この本のなかでは人肉嗜食の問題をサラりと流している。注意深く読んでいかないと人肉嗜食のことを見逃してしまう。著者も書けなかったのであろうし書きたくなかったのである。寧ろ、書くのが憚られたというべきだろう。

著者自らの手で捕虜を殺害したことを告白しながらもなお、人肉嗜食のことは書けなかった。 斃れた兵士の死体の臀部が削り取られていること、病者は比較的健康な兵に殺されて体躯を喰われてしまうこと、それは組織的にも行われた。つまり、小隊のなかで弱っている者を殺害してその肉を喰うこと、喰われなくても、戦死すると身ぐるみはがされて軍服まで持ち去られてしまうこと、発狂する将官や兵。それは現世に現出した地獄図そのものであった。また、兵站の不備から戦争にもならないのがニューギニア戦線であり、敵は戦闘相手国ではなく飢餓にあったようだ。

 「戦史」は歴史であって文学ではない。作戦結果に対してどういう結果がもたらされたかを綴ればよい。個人的体験は防衛庁の史料編纂室でも興味の対象としてはいないはずである。「戦記」と「戦史」は大きな差がある。この本は、「戦記」に分類されるが自分の参加したニューギニア戦線での悲惨を呪詛した本であるといえる。専ら、著者の体験談に依って構成された非観念的で具体的な内容構成となっており解りやすいものとなっている。

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