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2008年7月19日 (土)

昭和レトロの遺風を残す団地と旧中学校校舎とマレビト

  好きな道があります。その沿道に時代に取り残されたような団地が未だ建っています。もっとも住民は退去してほとんど住んでいません。幼い頃、この団地には随分と友達が住んでいました。その記憶を辿ると僕の幼稚園の時代にまで遡らなくてはなりません。

 団地の横には当時の侭の姿の放置された中学校があります。後年、新校舎が完成したために中学校が移転してしまい校舎と体育館だけが取り残れてそこには教育資料だけが置かれているとの由。メンテをまったくしていないためにその老朽化は著しくもちろん耐震基準なんて満たしておらず現実的な問題として倒壊の危険を感じます。その校舎からはたくさんの人が巣立ってゆきました。まぁ、僕もその一人なわけです。必ずしも其所で青春を謳歌したとは言えませんが想い想いを胸に学窓を巣立ってゆきました。卒業生とはそういうものです。

 もう、其所に帰る人はいません。帰っても其所には人っ子一人いないからです。卒業者の皆が各々の都合から遠くに居を構えて日々の営為の中にいます。アメリカに在住し都市計画を手懸けている才媛Hさん。大阪大学の数学科で準教授をしているUくん。皆、中学の頃の記憶にかまけている暇はないでしょうし、中学時代の記憶は僕の中でさえ極めて希薄ですしどうでもよい記憶です。

 校舎の一部と体育館は当時の侭そっくりその侭なのです。手を入れられて養生されているふうではないことは先に書きましたがそんな校舎や体育館では過去に於いて今に繋がる日々の営為が確実に存在したことは改めて銘記したいと思います。校舎の中で学び体育館で舞い校庭では走った。その過去の事実には確実性が伏在しています。それは過去の曖昧性とか過去の確実性、遡及できない過去とも表現できます。

 その老朽化した旧校舎はオバケが出そうな気配が漂いトイレの花子さんでも出て来そうな気がします。それは兎も角、学校という場所は怖ろしい迄の魂魄が漂っているような気がしてなりません。小学校とか中学校という祭場は、「口裂け女」・「こっくりさん」等々にみられるようにケの伝達の場として機能していたことは確実であると思えます。

 折口信夫の思想の中にマレビトという考え方があります。本来は、マレにやって来ては去ってゆく人というような意味であり、そこから折口は民俗学的視線からの問いを発しているわけですが、今回、取り上げているようなノスタルジーの念を抑えがたく学校や旧校舎を訪問してみてもそれは折口民俗学でいうマレビトの概念に觝触すらしません。勿論、それはそれで結構。

 が、時折、日々の中に伏在しながらも顕在化しないモノとしての旧校舎とそれに繋がる中学生時代の記憶に心を飛んだ時、折口のいう厳密な学問的定義から逸脱して、僕という存在が折口の依って阻却された定義とは別の意味でのマレビトと化しているように思えてなりません。勿論、マチビトでもありませんしタズネビトでもありません。

 僕は、ほぼ、毎週火曜日の19時頃にこの学校の脇の道を通ります。僕に会いたければ、どうぞその時間帯に来てください。その時間には僕は其所に出没します。これは柳田民俗学からいうと僕は妖怪そのものであるということになります。中学の記憶なんてとうの昔に散逸し同窓会なんて開きませんしあっても出席などするつもりはありません。高校や大学の頃の記憶が曖昧になっているなかで最早、中学校の記憶に意を飛ばす人も多くはありますまい。旧校舎の前に佇み一年中待ち続けても曾ての級友は誰も来ません。それは「取り返しのつかない過去」として号泣したくなる感覚を保帯します。

 「贈る言葉」だってどんなに大きい声で叫んでも最早、誰にも届きません。過日、妻が中学の学窓を離れて以来、初めて中学訪問をしました。懐かしくはあったと話してくれましたが、妻は再び日々の営為の中に埋没しており二度と訪問することはないと話していたことが印象的でした。マチビトはマレビトになりマレはいづれマレの構成さえも拒否していずれは途絶するものです。

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